聖母アンマからのお導きと祝福(① 前編)
「聖母アンマからのお導きと祝福(① 前編)」
『聖母マリアの秘密』が、南インドの聖者である「聖母アンマ」から「お導き」と「祝福」を頂いた出来事についてご紹介します。
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【聖母アンマの不思議な不思議な物語】
(於:アムリタプリ、2014.03-04)
2014年1月12日(日)のこと。私の夢に、南インドのケララ州におられる女性の聖者である「聖母アンマ」(シュリー・マーター・アムリターナンダマイー・デーヴィ)が現れてこられました。
白い衣を着ておられるアンマは、私の目の前の空中に浮かんでおられて、笑顔で静かに私を見下ろしておられました。
しばらくすると、私は目が醒めました。そして、夢に聖母アンマが現れてこられたことを不思議に思いました。
私は、その10年ほど前に、人からプレゼントされたアンマについての本を読んで、アンマの存在について初めて知りました。そして、素晴らしい聖者であると思いました。また、アンマが毎年日本に来られていて、多くの日本人の方たちに「抱擁のダルシャン」を与えておられることも聞きました。しかしながら、私はダルシャンの会に参加したことはなく、抱擁を受けたこともなく、それほど深い関心をもっていませんでした。
それなのに、アンマが夢に出てこられたのです。私は不思議に思いましたが、それ以上深く考えることはなく、起き上がると、普段の日曜日の一日が始まりました。
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それからちょうど1週間が過ぎた日曜日の朝のこと。目が覚めた時、おかしなことに、「今、そこにアンマがおられた」という不思議な感覚を覚えました。アンマの存在が近くに感じられたのです。それで、思いました。
「1週間前にはアンマが夢に現れてこられて、今日はアンマが近くにおられたと感じた。これは一体どういうことなんだろう? 何か意味があるのだろうか?」と。
私は一週間の間に2回起きた不思議な出来事を振り返りました。そして、何となく、アンマから呼ばれているようにも感じられました。
しかし、当然のことながら、すぐに南インドに行くようなことはできません。私は「いつか流れがあれば、行くことがあるかもしれない」と思いました。
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ところが、どういうわけか、あれよあれという間に物事が進展していき、それから2ヶ月後の2014年3月、私はケララ州にある聖母アンマのアシュラム(修行の場・僧院)に初めて行くことになり、約3週間滞在することになったのでした。
私はそこで、全く想像もしていなかった、アンマのもとでの霊的な環境で、祝福に満たされて、充実した時間を過ごすことができて、深い学びの機会を頂くことができました。
このアンマからの有り難いお導きがなければ、「今の私」は存在していないようにも思われます。それほど貴重で不思議に満ちた出来事でした。
本当に「アンマの世界」は「愛」や「不思議」や「神秘」、「祝福」、「恩寵」、「驚き」、「感動」、「学び」などに満ちていて、アンマは完全に「人間のわざ」を超えている存在である、といえるように思われます。
そのように人間を超えておられるアンマはなぜ、私を南インドのアシュラムに呼んでくださったのでしょう?
それには「深い意味」が隠されているように思われますが、その意味について、私は徐々に理解することができるようになってきました。
この出来事には、「見える世界」の「アンマ様」と、「見えない世界」の「マリア様」の「二人の聖母」が関わっておられて、私たちを導いてくださっている、ということのように思われます。
その不思議や驚きに満ちた、今、地上に姿を現してくださっている「聖母アンマ」のお導きの物語をご紹介したいと思います。
1.「聖母アンマと聖母マリア」の物語
2014年3月に、南インドのケララ州・アムリタプリにあるアンマのアシュラムを訪れると、受付で過ごし方などを教えて頂き、大きな建物の中にある一人部屋を借りて過ごすことになりました。
そして、アシュラムでは1日のうちに数時間、セヴァ(奉仕の仕事)をする必要があることや、「ホーマ」(護摩)や「プージャ」などの儀式が聖所で毎日行なわれていること、またアシュラム内には「ジョーティシャ」(インド占星術)をする占星術師がおられることなども教えて頂きました。
アンマは、私たちが自己をよく知り、より良い人生を歩んでいくために、「ジョーティシャ」(インド占星術)や「プージャ」(神様に捧げる礼拝の儀式)などを活用するように勧めておられるということです。せっかくの機会ですから、私は占星術師の所に行って、私の仕事などについて聞いてみることにしました。
その時の私の一番の関心事は、改訂版となる『聖母マリアの秘密』の出版でしたから、それについて尋ねました。すると、一人の占星術師が言われました。
「あなたがしていることは神様に関わる物事です。ですから、それが良いかどうかは神様が判断されます。神様がOKと言われればOK。NOと言われればNOです。アンマは神様とつながっておられるので、神様の御言葉を聞きたければ、アンマに聞くのが一番良いでしょう」
私は素直に納得して、部屋に戻ると、アンマへの手紙を書きました。その日に行なわれるダルシャン(抱擁による祝福)の時、アンマに付き添っている人に英文の手紙を渡して読んでもらえば、ケララ州の言語であるマラヤラム語でアンマに伝えられるということでした。
その夜、「日本人である私の本について、インド人の聖者を通して、神様の判断を仰ぐことになるとは、思いもよらない展開になったものだ・・・」と戸惑いを覚えながら、ダルシャンの列に並びました。
順番が来て、アンマの前でひざまずくと、私は旧版の「マリア様の本」をアンマに差し出しました。すると、アンマは満面の笑みをうかべながら本を受け取り、高く掲げて周りの人たちに見せながら、「わー、こんな素敵な本があるのよ」という感じで、大きな声をあげて喜んで下さいました。
旧版の本を心から喜んで下さったので、意を強くして、次に改訂版となる『聖母マリアの秘密』の原稿(A4版)をお見せして、「これは改訂版の原稿です。祝福して頂けませんか」とお願いしました。
すると、アンマは原稿を両手で受け取って、表紙にキスをして下さいました。そして、原稿を私に返すと、私を力強く抱きしめてくださいました。
私はそれによって、『聖母マリアの秘密』がアンマ、そして神様から祝福を受けていることを強く感じることができ、「神様がOKと言ってくださった」と安心したのでした。
私は心からの喜びをもって、ダルシャンの場を後にしました。
その後、「アンマがキスしてくださるのは最高の祝福ですよ」と帰依者の方から教えて頂きました。
アンマ(神様)が『聖母マリアの秘密』に、最高の祝福を与えて下さったので、この本はとても大切な本であり、これから国内外の多くの方々に読んで頂くようになるのではないかと思われます。
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そんな出来事があった3日後のこと。
早朝の5時から聖所(カラリ)で行なわれる「マハー・ガナパティ・ホーマ(護摩)」に参列した後、その場で瞑想していると、儀式を執り行なわれたスワミジ(僧侶)が、この聖所の仕事を手伝うセヴァ(奉仕)をするように、私を招いてくださいました。
私が喜んで承諾すると、スワミジは私をカラリの隣にある古い建物につれていかれました。
中に入ると、スワミジはある場所を指さして、「アンマはここでお生まれになりました」と言われました。なんと私は聖母アンマがお生まれになった古い家で仕事をすることになったのでした。
「そうなんですか!」と突然の話に驚いた後、私は「何をすれば良いですか?」と聞きました。
私に与えられた最初の仕事は、プージャなどの時に使う「白檀のペースト」づくりでした。聖なる石に水を垂らし、そこに白檀の木片をこすりつけて、純粋な白檀のペーストをつくるのです。
私は大きなアンマの写真が飾られている聖なる場所で祈りながら、数時間をかけて、直径5センチほどの金属の容器が一杯になるほどのペーストをつくりました。スワミジにお見せして、「これで良いでしょうか?」と確認すると、スワミジは笑顔で「Good」と言われ、その容器を冷蔵庫に入れて、保管されました。
その日の夕方、一人の女性が聖所に来て、スワミに話しかけました。すると、スワミジは、私がつくった白檀のペーストを冷蔵庫から出して、クムクムなどと一緒に袋に入れて、彼女に手渡されました。
話を伺うと、この日、急に、アンマご自身の御足への「パーダプージャ」(聖者の御足を礼拝する儀式)が行なわれることになったので、その時使うために、女性が白檀のペーストなどを受け取りに来たということでした。
つまり、私が生まれて初めてつくった白檀のペーストがアンマの御足に直接塗られることになったというのです。私はアンマと深いつながりを持つことができたように感じられて、心から嬉しく思いました。
アンマご自身へのパーダプージャはめったにない上に、私が初めてつくった白檀のペーストがアンマの御足に直接塗られることになったので、先輩のセヴァの人たちは「You are the luckiest man in the world」(あなたは世界中で最も幸運な人だ)と言って、驚いていました。私が「in the world?」(世界中で一番なんですか?)と聞くと、彼らは「もちろん!」と答えました。
この出来事は、『聖母マリアの秘密』に祝福を頂いてから三日目のことだったので、何となく、改めてアンマから特別の祝福を頂いたように感じられ、大変有り難く思われたのでした。
私自身は単に文章を書くという道具に過ぎませんが、本書を通して「聖母マリア(神様)からのメッセージが世界中の多くの方たちに届けられる」という重要な計画が滞りなく行なわれて、人々が神様に心を向けるようになるための大切な仕事を遂行することができれば、誠に幸いであると思っています。
2.「聖母アンマとクリシュナ神」の物語
カラリ(聖所・神殿)で行なう奉仕の仕事には、プージャやホーマなどの儀式の準備や片付け、聖具の洗浄やお堂などの清掃、白檀のペースト作り、プラサード用のココナッツ削り、プージャ後のプラサード配り、アシュラム内でも非常に大切な場所であるアンマがお生まれになった家の中の清掃などがありました。
アンマがお生まれになった家には、基本的に男性の聖職関係者だけが入れるようになっており、そのような限られた人だけに許される場所で静かにお祈りができるというのは、本当に有り難いことでした。
また、朝5時から夜の7時ごろまでに4回あるプージャとホーマの時には、スワミジの側に座ることができるという、大変貴重な場所で過ごすこともできました。
アンマのアシュラムには世界中のたくさんの方から、プージャやホーマなどについて依頼が寄せられています。その世界中の人々の希望や願いに応えるための心を込めた神様へ祈りがカラリ(聖所)で捧げられ、儀式が執り行われるのです。
世界中から心を向けられている「祈りの場」に着座して、共に祈りや瞑想の時間を過ごすことができるというのは大変貴重であり、有り難いことでした。
ちなみに、午前5時からは「マハー・ガナパティ・ホーマ」と「ナヴァグラハ・プージャ」、午前8時から「ラクシュミー&サラスワティ・プージャ」、午前10時から「マハー・ムリティユンジャヤ・ホーマ」、午後6時から「マハー・スダルシャナ・ホーマ」と「カーリー・プージャ」などが行なわれていました。
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今現在もメジュゴリエで出現されている聖母マリアは、メッセージで「祈りなさい。祈りなさい。祈りなさい。祈りが喜びになるまで祈りなさい」と言われており、祈りの大切さを伝えておられます。
私はある時期、偶然インドで出会った日本人の僧侶の方が住職をしておられる、熊野にある禅宗のお寺で修行をさせて頂いたことがありました。そして、一日中、お経を上げながら、過ごしていました。それは慣れないうちは、なかなか大変なことでした。
しかし、これもマリア様から与えて頂いた「祈りの修行」だと思って、納得して、頑張らせて頂きました。すると、その結果として、知らないうちに「祈りの力」を与えて頂いたことが分かってきました。
「誠実な祈り」を重ねることによって、祈りは力を持つようになるようです。そしてまた、悪霊なども近づいてくるのが難しくなってくるようです。
私は今回、アンマからアムリタプリのアシュラムに招かれて、さらにはカラリ(聖所・神殿)でお務めをさせて頂くことになって、そんな大切な祈りの「本場」(中心)で、心身を浄化するための修行をさせて頂くことになったようにも思われました。
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この聖所で先輩のセヴァの方たちと一緒に仕事をしていると、ある時、西欧から来ている29才の若者が私に話しかけてきました。
「私はこのアムリタプリのアシュラムに、19才の時に初めて来ました。それから10年続けて、毎年来ています。そして、今年、ようやくこの聖所(カラリ)でセヴァの仕事をすることができるようになりました。あなたは本当に、今回、初めてアムリタプリに来て、ここでセヴァをしているのですか?」
私が「はい。今回、初めて来ました。そして、日本ではアンマにお会いしたことも、ダルシャンを頂いたこともなく、アムリタプリに来て、先日、初めてダルシャンを頂いたんです」と答えると、彼の驚きはさらに増したようでした。
アンマが私の夢に現れてきてくださってから起きている一連の出来事は、何か特別のことであるように感じられました。
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話は変わりますが、2006年のこと、私は急に、北インドに位置するブリンダヴァンとマトゥラを訪れたくなって出かけました。
マトゥラは5000年ほど前にクリシュナ神が誕生された所であり、ブリンダヴァンはクリシュナ神が幼少期から過ごされていたとされている聖地です。私はこのような聖地を訪れて、祈りを捧げ、ヤムナー川の川辺などでクリシュナ神に思いを馳せながら過ごしました。
その旅から帰国してしばらくした時、私はどういうわけか、ふらりと音楽教室を訪れました。そして、フルートのコースを選んで、習い始めました。「私は何をしているのだろう?」と自分自身で不思議に思いながら教室に通っているうちに、いつのまにかフルートを吹けるようになっていました。
今回インドに旅立つ時、フルートを持って行くかどうか迷いましたが、「アンマのアシュラムで吹くことができたらいいな」と思い、持っていくことにしました。
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さて、私はアンマのアシュラムで思いもよらず、アンマが誕生され、アンマの祭壇が置かれている聖なる家で仕事をすることになったのですが、数日が経過して、ある程度仕事にも慣れ、心に余裕ができてきた時、ふと思いました。
「ここにはアンマの祭壇がある。この祭壇の前でフルートを吹けば、アンマに直接フルート演奏を捧げることになり、更にはクリシュナ神にもフルートの演奏を捧げることになるのではないだろうか?・・・」
それは、アンマを通してクリシュナ神が顕現される「クリシュナ・バーヴァ」という神秘的な現象があり、クリシュナ神はアンマと共におられると考えられているからです。
私をアシュラムに来るよう導いて下さったアンマに対して、感謝の音楽奉納をすることができれば大変有り難いことですし、更にアンマを通して、クリシュナ神に演奏を捧げることができれば、こんなに嬉しいことはありません。
クリシュナ神にゆかりのある土地を訪れた後、急にフルートが吹けるようになった経緯を考えると、ぜひともクリシュナ神にフルート演奏を捧げたいと思いました。
私は意を決して、私を聖所で働くように招いて下さったスワミジにお願いしました。
「私はアンマの祭壇の前で、クリシュナ神に捧げるフルート演奏をしたいと思っているのですが・・・」
すると、スワミジはいとも簡単に「いいですよ」と答えられました。そして、それに付け加えて、「でも、少し小さな音でね」と言われました。この神聖な場所で演奏を捧げるのは特別なことであり、「これはあなただけだ」(only you)とも言ってくださいました。
私は、午前中に行なわれるホーマ&プージャが終わり、スワミやセヴァの人たちが食事をとるために出ていかれる昼頃に演奏することにしました。そして、私一人になった時、フルートを演奏することができました。
4月11日からの3日間、アンマの祭壇の前で心を込めて、フルートによる音楽を奉納させて頂きました。この上なく有り難いことでした。
フルートを吹きながら、「アンマ(クリシュナ神)に捧げるほどうまくはないなあ。もっと練習しなければ・・・」というのが正直な思いでしたが、とにかくアンマを通して、クリシュナ神にフルート曲を捧げることができて、大変幸せでした。
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フルートを吹き始めて3日目(13日)のこと。祭壇の前で、「ファティマの聖母」への曲を吹いている時、突然、一人のスワミジが部屋に入って来られました。
スワミジは私の方をチラッと見た後すぐに、口内用の保湿器の所に行かれました。そして、保湿器のスイッチを入れると、そこに顔を伏せられました。
スワミジは、この日、風邪気味で体調を崩されており、のどの不調を癒すために、保湿器を試しに来られたのでした。
私は保湿器を使っておられるスワミジの所に行って声をかけました。
「体調が悪いのですね。少しヒリーングをしましょうか?・・・」
スワミジは軽くうなずかれました。
30分ほどヒーリングをしていると、スワミジはいびきをかきながら、眠ってしまわれました。そして、しばらくして起きると、感謝して、帰って行かれました。
私はその後、先ほどしていた演奏の続きをして、フルートの奉納演奏を終わりにしました。
スワミジやセヴァの方たちのご好意のおかげで、私はアンマの祭壇の前で、アンマとクリシュナ神にフルート演奏を捧げるという大変貴重な時間を過ごさせて頂き、感謝の気持ちで一杯でした。
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その二日後の4月15日は「ビシュ」と呼ばれる、ケララ州の暦での新年のお祝いの日でした。聖所では前夜に飾り付けが行なわれ、クリシュナ神像が運び込まれて、黄色や赤色などの美しい花々や果物などで彩られていました。
この新年の日において最も重要な行事は、「ビシュの日に最初に見るもの」という意味の「ビシュカニ」で、人々はクリシュナ寺院などに行って、神聖で縁起の良い美しいものを最初に見るようにする風習だということです。
この日、聖所の扉が開けられるのは午前4時でしたから、私は3時半頃に出かけていきました。すると、プージャ部長のスワミジがおられて、私にお椀を手渡して、「そこに立ちなさい」と指示されました。その場所は聖所の扉から少し離れた所で、お椀の中には白檀のペーストがたっぷりと入っていました。私は何も分からないまま、言われた通りにしました。
午前4時になると、カラリの扉が開けられ、美しく飾られたクリシュナ神像が姿を見せられました。その時を待っていた大勢の人たちは皆、クリシュナ神像を見、その前でひれ伏して祈りを捧げました。そして、祈りを終えると、私の所に来て、私が持っているお椀の中の白檀を薬指で取って、自分の「第三の目」の所に塗りました。
つまり、カラリで参拝する人たちがクリシュナ神に祈った後で額に塗る聖なる白檀を持って控えているのが私の役割だったのです。私はクリシュナ神に仕える役割をすることができたように感じられ、大変光栄で、嬉しく思いました。
私は二日前にアンマの祭壇の前でクリシュナ神にフルート演奏を捧げていたのですが、この「ビシュの日」の出来事が、その捧げ物を受け取って下さったことに対するクリシュナ神からの“しるし”であるとすれば大変有り難いことであると思いました。
3.「聖母アンマと癒し」の物語
私は3月末にアンマのアシュラムを訪れた後、ちょうど3週間滞在して、アシュラムを去ることにしました。
そして、アシュラムを離れる前日に、最後のダルシャンを受けるため、会場に向かいました。
その日はどういうわけか、平日にも関わらず、多くのインド人の方たちが後から後から押し寄せて来て、午後9時を過ぎても並んで待つ人の列は途切れることがありませんでした。
私は午後11時頃に、ようやく列に並ぶことができました。そして、ダルシャンを受けられたのはその1時間後で、ちょうど午前零時になっていました。
ダルシャンを受けた後、私はアンマの後ろの方に移動して、他の人たちがダルシャンを受ける様子を見ながら過ごしていました。すると、私のところにセヴァの女性が来て、言いました。
「アンマが皆さんを抱擁された後に、プラサードとして手渡されるビブーティの包みをアンマに手渡すというセヴァ(ビブーティ・セヴァ)をしてほしいのですが」と。
私はその依頼を受けて、アシュラムでの最後のセヴァをすることにしました。
ビブーティをアンマに渡すセヴァをする人には、それをアンマに渡す時の注意点について、簡単な説明と実技指導がありました。
「アンマは今、左肩が痛いので、アンマが腕を動かさないでいいように、セヴァの方が気を利かして手を伸ばし、ソフトにソフトにアンマの手の平の上に乗せるようにすることが大事です」ということでした。
私はその時初めて、アンマが肩に痛みを持っておられるということを知りました。そして、その痛みを抱えたまま、週に4回、午前11時頃から午後9時頃までの長時間にわたって、多くの人たちにダルシャンを与えておられる、という事実に大きな驚きを感じました。
しかもこの日、ダルシャンが終わったのは午前1時前でした。約14時間もの間、基本的に休むこともなく、きちんとした食事をとることもなく、肩に痛みがあるなかで、千人を越えているであろう人々を抱擁し続け、相談を受けて、語り続けられたのです。全く驚き以外の何物でもありませんでした。
この日、私がダルシャンを受ける時間が遅くなり、さらに最後に、ビブーティをアンマにお渡しするという「ビブーティ・セヴァ」をすることになって、いつもとは異なる状況で物事が進んだ結果、このアンマに関する驚きの情報を知ることになったのでした。
私は翌日の午前中に、アンマのアシュラムを発って、北の方(初代シャンカラの生誕地であるカーラディ)に向かう予定にしていたのですが、アンマが痛みを抱えたまま、これからもずっと過ごされる、ということについて、「そのままに放っておいて、出て行くわけにはいかない」と強く思いました。
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私は翌日、予定を変更して、インフォメーションセンターに行きました。そして、そこで仕事をしているセヴァの方たちに尋ねました。「アンマが肩に痛みを持っておられるというのは本当ですか?」と。
すると、「その通りです」という答えが返ってきました。やはり、昨夜聞いたとおりだったのです。
私は驚くとともに、「今のままではいけない。何とかしなければならない」と思いました。
それで、スタッフの人に「私はアンマの肩をマッサージしたいのです」と言いました。
「もし、今、アンマが肩に痛みを持っておられるとしたら、少しでも痛みを和らげるために、マッサージをするのが一番良いと思います。私は良いマッサージをすることができます。
昨日、アンマは午前1時までダルシャンをされました。痛みをもったまま、そのようなことを続けるのは大変なことです。ぜひ、私がアンマにマッサージをできるように取り計らって下さい」とお願いしました。
スタッフの人たちはアンマを心から愛しており、いつも優しくて、良い人たちなのですが、彼らの回答は当然のことながら、インドの常識に即したものでした。
「インドでは、男性が女性の身体に触れて、マッサージをするというのは良いことではありません」
「アンマは私たちの母親ではないですか。私たちは男性と女性の関係ではなく、母親と子供の関係です。アンマは母親として、いつも私たちを抱きしめて下さっています。そうであれば、アンマを母親としてマッサージするのは問題ないのではないですか? 私は日本では、両親のマッサージをしています」
「理論的にはそうですが、インドではそれによって、アンマに良くない評判を招くかもしれません」
「しかし、あなたたちはアンマが痛いままで良いのですか?」
「アンマはマハー・アートマですから、自分の身体は自分で管理されます」
「しかし、マハー・アートマであっても、今は肉体を持っておられます。そして、その肉体に痛みがあるのです。その身体で、1日に10時間も12時間もダルシャンをされています。それで、良いのですか?」
「アンマが日本に行かれたときにされたらどうでしょう? インド内でなければ、良いかもしれません」
「私はアンマが5月に日本ツアーに行かれる頃には、まだインドにいます。ですから、それは不可能です」
「私たちにはどうすることもできません。男性のスワミジに相談されたらどうでしょう?」
「そうですね、男性のスワミジですね・・・」
私はその時、先日、風邪で体調を崩された時にヒーリングをして差し上げたスワミジのことを思い出しました。
私がヒーリングをした翌日の午前中に、彼と偶然アシュラム内で出会った時、アンマの帰依者たちに囲まれて話をしておられ、良くなったと喜んでおられたのです。アーユルベーダの薬を飲んでも、ドイツ人の鍼灸師によっても治らなかったのが、どういうわけか私のヒーリングで良くなっていたのでした。
スワミジは私のヒーリングを体験されているので、私が伝えたいことを理解されるだろうと思いました。ある意味で、「この流れは、実に良くできたストーリーだ」と思いました。
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私はスワミジの部屋に伺うと、早速アンマの肩の話をしました。やはり、スワミジも「アンマは痛みをもっておられる」ということをご存知でした。
私は「アンマの肩をマッサージしたいのです」と伝えました。しかし、インフォメーションセンターで聞いたのと同じように、「それは無理でしょう」という答えがすぐに返ってきました。
私は「アンマは私たちの母親であり、母親の痛みを放っておくわけにはいきません。アンマにマッサージをしたいのです」と繰り返しお願いしました。
すると、「実は、私も背中に痛みがあるのです。何かできますか?」と聞いてこられました。私は「はい。やりましょう」と答えて、20分ほど施術をしました。
すると、スワミジは何かを感じられたようで、「分かりました。明日のダルシャンの時、私について来て下さい。私がアンマにあなたを紹介して、話をしましょう」と言ってくださいました。
スワミジもアンマのことを気遣う気持ちは全く同じであり、私のヒーリングのことを知って、体験されて、紹介しないでおくということはできなかったのです。
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翌日、ダルシャンが始まり、昼の12時半を過ぎた頃、私はスワミジの後ろについて行って、ダルシャンをしておられるアンマの前に出ました。
スワミジはアンマに話しかけられ、続いて私を振り返り、自分の肩をもむしぐさをされました。
うつむいてしっかりと人を抱きしめておられたアンマは、顔を上げて、私の方を見られました。私の目とアンマの目が合いました。その瞬間、私は不思議な感じがしました。アンマの顔が「20代の女性」のように若々しかったからです。いつもの落ち着きのある愛情に満ちた母親の表情ではなく、はつらつとした20代の女性のように見えたのです。
そんなアンマは笑顔でスワミジに何か話されました。するとスワミジは振り返って私を見て、笑顔で、そして大きな声で「Nothing(ナッシング)」、「アンマの肩にはもう痛みはありません」と言われました。
アンマの肩の痛みは、どういうわけか無くなっているというのでした。アンマの近くで奉仕している帰依者たちも、それを聞いて安心して、笑顔になりました。
私はスワミジの言葉を聞いて、「やはりそうですか。やはり必要ありませんでしたか。本当に聖者(マハ・アートマ)は強いですね。すごいです!」と心から感心しました。
愛そのものがすべての行為の源(動機)となっており、天からのエネルギーを頂かれている聖者の生き様は、本当にすばらしいものでした。そして、「すごい」という一言に凝縮されている生き方を見せて下さったのでした。
私は、アンマのアシュラムを去る予定にしていた日の直前に起きた出来事を通して、もう一つの「聖母アンマの物語」を体験して、満足してアシュラムを後にすることになりました。
そして、私には、この日、もう一回アンマのダルシャンを受けられるという機会が与えられたのでした。
霊的な学びに満ちて、有り難い、そして大変不思議な聖母アンマのアシュラムでの物語は、これをもって終わりを告げました。
めでたし、めでたし。「オーム ナマ シヴァーヤ」。
4.エピローグ:「白檀と聖母アンマとクリシュナ神」の物語
私は聖所(カラリ)で奉仕をするように招かれ、最初にした仕事が白檀のペーストづくりでした。そして、それがアンマの御足に直接塗られるという光栄に浴しました。さらに、新年(ビシュ)の大切な日には、クリシュナ神像の側に控えて白檀を持っているという大切な役割を果たすことになりました。
私は白檀を通して神の御足に近づくことができたのですが、その白檀とのご縁を不思議に思って、帰国後、「白檀」にどういう意味があるのか、花言葉を調べました。
白檀の花言葉は「平静(平安)」というものでした。私はそれを見て驚きました。
私の本『聖母マリアの秘密』で紹介している、聖母マリアから伝えられている最も大切なメッセージは「神様の平和の中に行きなさい」というものだったからです。
聖母マリアからの「平和」というメッセージと、白檀の花言葉である「平静(平安)」がぴったりと一致していたのでした。「白檀」との関わりを感じさせられた一連の出来事には、やはり深い意味があるように思われました。
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そして、私は「バガヴァッド・ギーター」の本を手に取りました。クリシュナ神とのつながりが感じられるなかで、クリシュナ神から伝えられている「神様の御言葉」を改めて聞かせて頂きたいと思ったのです。
読み始めると、すぐに響いてくる御言葉がありました。
「アルジュナよ、義務を忠実に行なえ。
そして、成功と失敗を等しいものと見て、あらゆる執着を捨てよ。
このような心の平静をヨーガというのだ」(第2章48節)
「心を克服した人は、既に至上我に到達し、いとものどかな平安境に住む。
彼にとっては幸も不幸も寒暑も、名誉も不名誉もすべて同じである」(第6章7節)
「常に真我に定住したヨーギーは、まことに無上の幸福を得たのである。
常にブラフマンの中にあって、一切の情炎は静まり、心平安である」(第6章27節)
私はクリシュナ神から、「忠実に義務を果たしながら、『平静、平安、平和』に至る道を歩み続けなさい」と諭されているように感じられました。それは私にとって、本当に大切なメッセージでした。
私は、聖母アンマとクリシュナ神の愛と導きに対して、改めて感謝を捧げたのでした。
「オーム ナマ シヴァーヤ!」
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