聖母アンマからのお導きと祝福(③ 続編)

   「聖母アンマからのお導きと祝福」(③ 続編)

「アンマから頂いたお導きと祝福」についての不思議な物語の「続編」です。

「続編」は途中から「写真付き」の「日記風」になっていますから、起きた出来事の流れを感じながら楽しく読んで頂けるように思われます。

それにしても、アンマからのお導きはこの上なく「不思議で神秘的」です。

それで、私は「アンマの世界」を「霊的なディズニーランド」と呼んでいます。

どうぞ「アンマからのお導きと祝福」の世界をお楽しみください。


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 【聖母アンマの不思議な不思議な物語】(③ 続編)
          (2019.12‐2020.05)


1.「アンマのお導きによって『メジュゴリエ巡礼の旅』を開催」

2019年7月22日(月)~24日(水)の三日間、第29回目となる「アンマ来日プログラム」が東京で開催され、たくさんの方がアンマのダルシャンを頂くために参加されました。

私も三日間(三日目は徹夜で行なわれるので、実質的には四日間)、会場に通って、ダルシャンにあずかることができました。


写真:アンマに祝福して頂いたマリア様の写真と、アンマから振りまいて頂いたバラの花びら:(2019.07.22).JPG
ダルシャンの時、アンマに祝福して頂いたマリア様の写真と
アンマから振りまいて頂いたバラの花びら(2019.07.22)

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それから数日が過ぎた時、私は三鷹市の井の頭公園にある弁財天様にお参りに行きました。するとその時、あるインスピレーションが湧いてきました。「そうだ。『メジュゴリエ巡礼の旅』を企画しよう」と。

「来年は2020年で、また令和2年。この『2』の数字で表される『分離』の時代がいよいよ幕を開けて、大きな混乱と困難の時が訪れてくるように思われる。その前に、日本とメジュゴリエのマリア様をつなぐための巡礼をすると良いだろう」。

私はそう考えて、11月28日~12月5日の8日間のスケジュールで、メジュゴリエにだけ滞在する巡礼ツアーを企画しました。その滞在中、12月2日(月)に予定されている「幻視者ミリアナへの聖母マリアのご出現」の場にも立ち会うことができるようにしました。

11月29日の夕方にメジュゴリエに到着すると、私は「ご出現の丘」でマリア様にご挨拶をしたくなり、現地のガイドの方に連れていって頂きました。

メジュゴリエのマリア様が初めて出現された丘の上で祈りを捧げていると、それまで小雨模様だった天気が良くなって雨が止みました。

そして、翌日には、真っ青な空が広がり、まさに快晴となりました。その日の朝、私たちを迎えに来られたガイドさんは、「皆さんが来られてから、天気が急に良くなりました。今年のメジュゴリエは天候が不順で、9月頃からずっと雨が続いていて大変だったのです。ところが、あなたたちがご出現の丘で祈られた時から、雨がやんで、今日は快晴です。皆さんが日本から太陽を連れてきてくださったんだと思います」と笑顔で喜んでおられました。

いつものことながら、「太陽を呼ぶ晴れ男」の面目躍如となりました。

それから快晴は続きました。そして、私たちのグループがメジュゴリエを発つ日に天気が崩れ始めて、雪が降り出しました。雨や雪の中で巡礼をするのは大変ですから、私たちが滞在している間、誠に有り難いことに、マリア様が私たちに青空をプレゼントしてくださったように感じられたのでした。

この巡礼の旅を急きょ企画して、メジュゴリエにあるすべての聖地を訪れて、無事に終えることができた時、私はマリア様と共に、アンマ様からのお導きに対して改めて感謝を捧げました。


2.「大嘗祭の儀」が行なわれた「大嘗宮」に参拝 

「メジュゴリエ巡礼の旅」を終えて、帰国した翌日の12月6日(金)。

私は、メジュゴリエ巡礼に参加された方たちの中で、希望される方を、新たに即位された天皇陛下によって「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」が行なわれた皇居の東御苑に建てられている「大嘗宮」にお連れして、参拝させて頂きました。

大嘗宮が公開されて、一般参賀ができるのは12月8日(日)までなので、都外から巡礼に参加してくださった方たちも参拝できるという、最高のタイミングになりました。

私はメジュゴリエ巡礼の参加者の方たちと共に「大嘗宮」に一般参賀をすることができたことによって、「メジュゴリエのマリア様」と「新たな日本」をつなぐための「ささやかな儀式」をすることができたように感じられました。

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3.「2回目のアンマのアシュラム訪問へのお導き」

メジュゴリエで霊的なエネルギーに満ちた様々な聖地を巡り、また巡礼を無事に終えることができて、喜びの高揚感に浸っている時、なぜか「アンマのアシュラムに来るように」という強い促しを受けました。

「え? 今、メジュゴリエから帰ってきたばかりなのに、今度はアムリタプリに行くのですか? こんなに急にですか?・・・」

私は意味が分からず、非常に驚きました。しかし、促しの感覚は続いています。私は戸惑いながら、南インドに飛ぶフライトを調べ始めました。そして、メジュゴリエから帰国してからわずか2週間後の12月19日に、南インド(ベンガルールの空港)行きの往復航空券を予約しました。

スケジュールは、翌月の「1月11日」から「2月22日」までの約40日間です。

その日付は「これまでの『111』の時代から、分離・分断をもたらす『222』の時代に移行していきます」という象徴としての意味が込められたものでした。

2020年(令和2年)から、世界は(もちろん日本も)いよいよ「大分離の時代」へと突入していくように強く感じられたのでした。

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今回の南インド巡礼の旅で、訪れる場所は「三ヶ所」あると直感しました。

一つ目は、アンマのアシュラムがあるケララ州の「アムリタプリ」。

二つ目は、大都市ベンガルール(バンガロール)からタクシーで2~3時間の距離にあるアーンドラ・プラディーシュ州の「プッタパルティ」。

三つ目は、沈黙の聖者ラマナ・マハルシのアシュラムと聖山アルナーチャラ山があるタミル・ナードゥ州の「ティルヴァンナーマライ」。

私は南インドにある、これら三ヶ所の聖地を良い流れで巡っていく必要があると思いました。

日本風に言えば、南インドにある三ヶ所の聖地を巡る「三社参り」という感じです。

しかし、同じ南インドにあるとはいえ、この三ヶ所の聖地は非常に離れています。「どういうルートで、どういう方法で移動し、どこに何日滞在すればいいのだろう?」と考えてみましたが、全くイメージは湧いてきません。

成田~ベンガルールの往復航空券を購入して、日程と空港が決まっているだけで、それ以外は全く決まっていないという状況のなかで、フライトの日が迫ってきました。

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成田を発つ「1月11日」の「2日前」のこと。アンマのFBに「アンマの南インドツアー」についての情報がアップされました。私はそのスケジュールを見て驚くと共に、すぐに私の「旅の流れ」が出来上がりました。

アンマのツアーのスケジュールは、次のようになっていました。

・1月23 - 24日:Madurai(マドライ)

1月26日:Tiruvannamalai(ティルヴァンナーマライ)

・1月28 - 30日:Chennai(チェンナイ)

・2月 1 -  2日:Coimbatore(コインバートル)

・2月 4 -  5日:Kozhikode(コジ゙コート)

私は、アンマの2番目の訪問地を見て、心の底から驚きました。なんとそこには、私が訪れることにしていた「ティルヴァンナーマライ」が記されていたからです。

南インドの「東側」に位置している「タミールナドウ州」の「ティルヴァンナーマライ」と、「西側」の海沿いにある「ケララ州のアムリタプリ」は軽く1000km以上離れている上に、どちらも小さい町であり、移動するのも楽ではありません。

すると、アンマご自身が南インドツアーという形で、「ティルヴァンナーマライ」を訪れて下さることが分かったのです。

「オー・マイ・ゴッド! オー・マイ・アンマ!」

この瞬間に、私の巡礼の旅の流れは出来上がり、ぴったりと決まったのでした。

1.まずバンガロールの空港から近い「プッタパルティ」に行く。

2.しばらくそこに滞在して、良いタイミングで「ティルヴァンナーマライ」に移動し、アンマが1月26日(日)に来られるのを待つ。

3.その日にダルシャンを頂いた後、翌日の27日にアンマを追いかけていき、「チェンナイ」で28日から行なわれるダルシャンに参加する。

4.チェンナイでのダルシャンが終わった後、一旦「プッタパルティ」に戻り、それからケララ州に向かい、「アンマのアシュラム」に滞在する。

「アンマの南インドツアー」という思いもよらないイベントが行なわれることになり、またアンマが、私が行く予定にしていたティルヴァンナーマライに着てくださることになって、私の「南インドの三ヶ所の聖地を巡る巡礼の旅」の行程もすっきりと決まったのでした。

私が旅立つ二日前の1月9日に発表された「アンマの南インドツアー」の日程(行程)が決まった後に、私の日程(行程)も決まるようになっていたように感じられました。

「プッタパルティ」~「ティルバンナーマリ」~「アムリタプリ」という非常にすっきりとした素晴らしい流れに落ち着いて、私は心から安心してインドに旅立つことができるようになりました。

私はこの出来事を通して、「私たちは、神様の計画(御心)が定められて、行なわれる時(神様の時)を素直に待たなければならない」ということをつくづく感じさせられたのでした。

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それにしても、私が行かなければならないと思っていた聖地ティルヴァンナーマライに、アンマご自身が来て下さるとは何という幸運であり、恩寵でしょう!。

しかも、このティルヴァンナーマライにアンマが滞在されるのはわずか1日だけです。

まさに「ピンポイント」で、「1年に1度、織り姫と彦星が会える」ように、聖山アルナーチャラ山があるティルヴァンナーマライという聖地でアンマに会えて、ダルシャンを頂けるとは・・・。

本当にすごいことであり、有り難い事であると、心から感謝するばかりでした!

「聖母アンマ、誠に有り難うございます」


そして、私は2020年1月11日(土)に、南インドに向けて旅立ちました。


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4.「2020年1月12日(日)」
  「光る身体」と「神様の恩寵」

南インドのベンガルール(バンガロール)の空港に着いたのは、成田空港を発った翌日の午前11時10分でした。

れで、1月11日に出発して、11時10分に到着するという「111」が再び示されたので、その数字は、これから始まることの確かな「しるし」であるように感じられました。

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空港から、タクシーで2時間半くらい走ったところに、最初の目的地である「プッタパルティ」があります。

町に着いて、安いホテルを探そうと思い、通りを歩いていると、突然、男性が私の横に現れて、声をかけてきました。彼を見ると、ヨーロッパ系の男性で、英語で話しかけてきました。

(男性)「部屋を探しているんですか?」
( 私 ) 「はい」
(男性)「私と部屋をシェアしませんか? 私はアシュラムの中で部屋をシェアしてくれる人を探しているのです」
( 私 ) 「え?」
(男性)「私はフランス人で、昨日、ここに着いたのですが、部屋をシェアしたいと思っているんです」
( 私 ) 「フランスからですか? 何という町ですか?」
(男性)「中央フランスの小さな小さな町です」
( 私 ) 「中央フランスなら、ヌヴェールやシャトヌフという町に行ったことがあります」
(男性)「え、シャトヌフに? 私の町はそこから40kmほど離れたところです。車で1時間ぐらいです」
( 私 ) 「あの辺りはすごく美しいですね。そこにマリア様から導かれて行ったんです」
(男性)「私もシャトヌフの聖堂に行ったことがあります」
( 私 ) 「え、そうなんですか」
(男性)「私の名前はクリスチャンです」
( 私 ) 「クリスチャンですか・・・」

私はクリスチャンというキリスト教系の名前に反応して、自分もそれにふさわしい名前を名乗るのがいいだろうと思って答えました。

( 私 ) 「私は日本人ですが、マリアンと言います。ミドルネームですが・・・」

実際に、自分でつけているミドルネームの中に「マリア」があるので、嘘や冗談ではありません。

男性)「おお、日本人でマリアンですか。日本人は誠実で信頼できるので、部屋をシェアできれば有り難いと思います」
( 私 ) 「分かりました。いいですね。では行きましょう」

【注意!】

基本的に、絶対に、良い子の皆さんは、海外ではこのような「危険」な行動は取らないでくださいね。特に、女性は。

私は、見えない世界からのお導きや大きな流れ、起きていることの意味、そして相手のことなどを感じ、判断しながら、臨機応変に、そして時には普通ではない行動をしていますから。

(クリスチャンが急に私に声をかけてきたという出来事についても大切な意味があり、お導きであったことが、後の流れではっきりと分かりました。)

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宿泊施設の受付に一緒に行って、手続きを終えると、請求書が出てきました。シャワーはあるがホットウォーターは出ない、というツインの部屋で、Rs2,220(2,220ルピー)。2人で割ると、1人がぴったり「1110ルピー」です。

再び「111」の「しるし」が現れてきたので、それが「意味のある数字」であることが改めて感じられたのでした。

やはり、クリスチャンという名前の彼と、私マリアンは、今日、ここで出会うように、見えない世界(神様・サイババ様・アンマ様・イエス様・マリア様方)が計画してくださっていたようです。

それで、私たちは出会ったときから、旧知の仲のように親しく話をし、情報の交換をしながら、一緒に行動することになりました。

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夕方になると、聖なるアシュラム「プラシャンティ・ニラヤム」(「至高の平安」という意味)にある「サイクルワントホール」に行きました。そして、高らかにヴェーダが唱えられ、その後、力に満ちた美しいバジャンが歌われるなかで聖なる時間を過ごしました。

午後6時になると、長い長い列に並んで、ホール内にあるサティア・サイババ様のご遺体が安置されているステージに行き、一輪の薔薇の花と共に、感謝のお祈りを捧げました。

写真:インド:プラシャンティ・ニラヤム:正門 By Y.Kikutani(2020.02.21)555.jpg
   プラシャンティ・ニラヤムの正門

写真:インド:プラシャンティ・ニラヤム:ゴープラム By Y.Kikutani(2021.02.21)555.jpg
プラシャンティ・ニラヤムのゴープラム(楼門)

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 プラシャンティ・ニラヤムの前の花屋さん

写真:インド:プッタパルティ:花1558-3 By Y.Kikutani(2020.02.21)555.jpg

サティア・サイババ様に捧げる一輪の薔薇の花

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その後、夕食を終えて、部屋に戻ると、クリスチャンといろいろな話をしました。

私が今回の巡礼旅行で、アンマやラマナ・マハルシのアシュラムにも行くことを話すと、クリスチャンは「アムリタプリにあるアシュラムに行ったことはないけど、アンマのヨーロッパツアーの時に、ダルシャンを受けたことがある」と言いました。やはり、クリスチャンも「アンマつながり」だったのです。

そして、眠る前に、彼は言いました。

(クリスチャン)「あなたからはすごいエネルギーが出ていますね」
(私)「そうですか、あなたはエネルギーを感じることができるんですね」
(クリスチャン)「いえ、感じるだけでなく、見えるんです」
(私)「え! 見えるんですか?」
(クリスチャン)「はい。初めてあなたを見たとき、すごいエネルギーが出ているのが分かりました。そして、あなたのオーラも見えました」
(私)「オーラも」
(クリスチャン)「私は、普通は、このようなことは誰にも話しません。こんなことを話したなんて誰にも言わないでくださいね」

あ! 書いてしまいました! ごめんなさい、クリスチャン。でも、言わないようにします!

(クリスチャン)「実をいうと、あなたに会う数分前に、『私が部屋をシェアする人がこれから現れる』というインスピレーションが湧いてきたんです。そして、あなたが私の前に現れてきたというわけです。あなたがすごいエネルギーをもっていて、光っていたので、『この人かもしれない』と思って声をかけたのです」
(私)「そうだったんですか。インスピレーションが湧いてきて、エネルギーを感じて、光が見えて、それでこんな流れになっているんですね・・・」

プッタパルティに着いた早々から、「不思議な出会い」が用意されていたのでした。大変有り難いことでした。

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「人がもっているエネルギーや光で、その人のことが分かる・・・」

そして、神様(サイババ様、アンマ様、イエス様、マリア様方)のお導きや恩寵のもとで、皆がつながって、平和に過ごしていくことができる。

「光る身体」と「神様の恩寵」の世界・・・。

大変すばらしいことであるように思われます!

「アヴェ 神様!」

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そういえば、「今日」は2020年1月12日(日)でした。

ちょうど6年前の今日、2014年1月12日(日)の朝に、アンマが私の夢に現れてきてくださってから、このようなとても不思議な「アンマからのお導きと祝福の世界」が始まったのでした。

その「記念日」に今回の「インド巡礼の旅」がスタートしたのも、不思議な巡り合わせであるように思われました。

「有り難うございます。アヴェ アンマ!」


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5.「2020年1月13日(月)」
  「ターラー菩薩」と「聖母マリア」

プッタパルティでの二日目は、二人はそれぞれに必要なことをして過ごしました。そして、夜になって、クリスチャンは部屋に戻ってきました。荷物を置くと、彼はすぐに話し始めました。

「私がここに来るときにお世話になったタクシーの運転手と、今日、偶然に会ったので話をしました。彼はラマナという名前で、あなたがティルヴァンナーマライに行くことに興味をもっていました。彼の名刺をもらったので、電話してみて下さい」

「おお、すごいタイミングですね。良い情報をくださって有り難うございます」

私はこの時まで、ティルヴァンナーマライに行くのに、経費を抑えるために、バスで長時間かけて移動するのが良いのか、それとも他にどのような方法があるのだろうか、などと考えていました。すると、クリスチャンが利用したタクシードライバーの話を教えてくれたのでした。しかも、ドライバーの名前が「ラマナ」で、聖者の名前と同じなのですから何らかの意味がありそうです。

私は「もしかしたら、タクシーを利用するように、天がアドバイスをくださったのかもしれない」と思い、選択肢の一つとして、タクシーでの移動も考えてみようと思いました。

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タクシードライバーのラマナさんの話がきっかけとなって、私たちは「ラマナ・マハルシ」について話し始めました。


クリスチャンはティルヴァンナーマライを訪れたことがなかったので、私はパソコンを取り出して、「マリア様のお話とお祈りの会」などで使っている「パワーポイント」の写真を見せながら、説明をしました。

私のパソコンには1000枚を超えるたくさんの聖地などの写真が入っているので、ついでにフランスの聖地やメジュゴリエ、イスラエルやシナイ山、西チベット(北インド)のラダックの写真なども見せていきました。

すると、ラダックの寺院で撮った仏像の写真を見たクリスチャンが「これはターラーの仏像でしょう」と言いました。そして続けて、「ターラーは聖母マリアのことだそうですよ」と言いました。

「ターラー」について、ウィキペディアでは次のように紹介されています。

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「多羅(ターラー)菩薩」

多羅菩薩(たらぼさつ、梵名:ターラー)は、仏教で信仰される女性の尊格(多羅、多羅仏母、救度仏母)で、手に「青い蓮の花」を持つ。

この菩薩は、観音菩薩が「自分がいくら修行しても、衆生は苦しみから逃れられない」と悲しんで流した二粒の涙から生まれた。

右目の涙からは「白ターラー」が、左目の涙からは「緑ターラー」が生まれた。

多羅菩薩が「衆生の済度(さいど)を助ける」と発願したので、観音菩薩は悲しみを克服したという。

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私は、チベットの写真を見ている時に、突然「聖母マリア」の名前が出てきて驚きました。

「そうですか。ターラーは聖母マリアのことなんですか・・・」

「多羅菩薩」が女性の菩薩で、人々を救済(済度)する役割をもっておられるとすれば、仏教界の「多羅菩薩」に対して、キリスト教界においてその役割をもっておられるのは「聖母マリア」であると言っても良いでしょう。

「多羅菩薩」と「聖母マリア」。

「ラマナ」から始まる話の流れのなかで、「多羅菩薩と聖母マリア」の不思議なつながりについて聞くことになったのでした。

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いろいろな話をした後、私がパソコンをしまう時、クリスチャンはぽつりとつぶやくように言いました。

「昨日、マリアンはどうしてこんなに強いエネルギーをもっているのだろうと不思議に思っていたんだけど、写真を見てよく分かりました。こんなにたくさんの世界中の聖地を巡っているからなんですね・・・」

1月13日。インド2日目の夜も、霊的な雰囲気のなかで、平和のうちに過ぎていきました。


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6.「2020年1月14日(火)」① 
  「孤児院」と「アムリタ」

この日の朝も、夜明け前からものすごく賑やかな鳥さんたちのさえずりで起こされました。

アシュラムの中にある食堂で、クリスチャンと一緒に食事をした後、緑豊かな敷地の中に置かれているベンチに腰掛けて話をしていると、彼が明日の予定について話し始めました。

「明日、マイソールにある孤児院にアムリタを頂きに行くので、一緒に行きませんか? あなたはタクシー代を払わなくてもいいですから」と。

私は「マイソールの孤児院にあるペンダントから自然に湧き出してくる神秘的なアムリタ」の話を以前聞いており、写真も見ていたので知っていました。

「アムリタ(甘露)」は、インド神話に登場してくる「神秘的な飲みもの」の名前であり、それを飲む人には「不死」が与えられるといわれているものです。

南インドにある「マイソール」という都市に「孤児院」があり、その施設を運営している方は大変信仰深い人でした。そして、ある時、彼が持っている「ペンダント」から「甘い液体」の「アムリタ」が湧き出してくるようになったということです。それは、彼の信仰と善行に対して、神様が祝福を与えておられるしるしだといわれています。

私はそれを見てみたいと思っていたので、誘ってもらって大変有り難いことでした。私は感謝して、すぐに「行きます。もちろんタクシー代はシェアします」と応えました。

クリスチャンも私が行くことを喜び、彼の知人のドイツ人と一緒に3人で行くことになりました。


7.「2020年1月14日(火)」②  
  「ターラー・マリアン・シンギング・ボウル」

午後は一人で、チトラヴァティ川沿いの丘に立っている「カルパ・ブリクシャ」(満願成就の木)でお祈りをしようと思い、のんびりと町の通りを歩きました。

すると「チベット・ネパール」の商品を扱っている、古ぼけた感じの店が目に入りました。中を覗くと、奥に中年の男性が一人座ってこちらを見ていて、目が合いました。(映画のシーンで出てくるような光景ですね。)私は何となく店に入っていきました。

話をすると、彼は、ダライラマが過ごしておられる北インドの「ダラムサラ」で生まれて、今はここで暮らしているということでした。

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棚に置かれている儀式用の「ベル」を手に取って鳴らしていると、店主さんは私を呼びました。そして、机の下から品物を取り出して、包みを開けました。出てきたのは「チベタン・シンギング・ボウル」でした。

彼は私のことを「音が気になる人」と見たのでしょう。「このシンギング・ボウルは9種類の金属でできており、とても良い音が出るんです」と言いました。そして、小さな棒を使って鳴らし始めました。

「かーん、くおーん、うおーん・・・」

確かにとてもいい音で、聞いていると、高音と低音の二つの音が響いているのが分かりました。私が思わず「おお、ダブルサウンドだ」と言うと、彼は嬉しそうな表情で「分かりますか?」と言いました。

私はシンギングボールを受け取って鳴らしてみました。

「かーん、くおーん、うおーん・・・」

広がりのあるとても良い音が響いています。そして、すぐに「ダブルサウンド」が聞こえてきました。ご主人は「こんなにいい音は、誰でもすぐに出せるものではありません。すごいですね」と言って、私の心をくすぐりました。

「ハウマッチ?」。自然な流れで聞いてみると、それほど高い値段ではありません。「いいなあ」と思いながら、ボウルを両手で持つと、底に描かれている絵が目に入りました。よくを見ると、仏様の姿です。

私は「この仏様は?」と聞きました。すると「ターラーですよ」という答えが返ってきました。

「え~! 昨日、クリスチャンからターラーの話を聞いたばかりだ。しかも、ターラーは聖母マリアのことだと言っていた。そして、今日、初めて入った店で、ご主人が表には出さず、隠していた品を出してきたのが『ターラーのシンギング・ボウル』・・・。この流れはちょっと出来過ぎている!」

私が「実は、昨日、ターラーの話をしていたんです」と言うと、ご主人は微笑んで、「あなたは今日、このターラーから呼ばれたんですよ」と言うのでした。まさしくその通りで、この「チベタン・シンギング・ボウル」 は「ターラー」と「聖母マリア」のお二人が用意して下さっていたもののように感じられました。

私は何の迷いもなく、「チベタン・ターラー・マリアン・シンギング・ボウル」を頂くことにしました。

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この「ターラーとマリア様」の「シンギング・ボウル」は自分が瞑想するときに使いますが、これから開かれる「お話とお祈りの会」などでも、聞いて、響いて頂くことができれば幸いであると考えています。

また、ボウルに水を入れて、音を鳴らすと、すごい「波動水」ができることも教えて(見せて)頂きました。浄化力があるということで、ご主人も自分のボウルで波動水をつくり、使っているということでした。クリスタルなどを浄化するのにもピッタリだということです。この「波動水」も皆さんと一緒に味わうことができればいいなあと思っています。いつか良い機会がありましたら幸いです。

「有り難うございます。アヴェ ターラー! アヴェ マリア! アヴェ アンマ!」

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写真:ターラー・シンギング・ボウル By Y.Kikutani(2020.02)369.jpg

写真の「チベタン・シンギング・ボウル」は、私が購入したのとは別のものです。
私がボウルを購入して、包装して頂いた後、写真を撮りたくなって、同じデザインの別のボウルの写真を撮らせて頂きました。

ご主人が私のために最初に出してくださったボウルは非常に良い響きで、私との相性も良く、私が唱える「オーム」の音程とも合っていました。他の二つのボウルの音も聞かせて頂き、鳴らしてみましたが、私にとっては響きませんでした

ご主人は「あなたにはこれが合うと思って、一番良いものを最初に出したのです」と自信溢れる表情で言われました。さすがに感性の高い、ダラムサラ出身の誠実なご主人だと思いました。

「有り難うございます。誠実なご主人!」


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8.「2020年1月15日(水)」 
  「インドの正月に『アムリタ(甘露)』を頂く」

1月15日はインドの元旦にあたる日であり、「マカラ・サンクラーンティ」と呼ばれる「お祭」がある大変「めでたい日」です。

「マカラ・サンクラーンティ」は「冬至」のお祭りであり、これからの春の訪れを告げるお祭でもあるということです。

このお祭りが「マカラ・サンクラーンティ」と呼ばれるのは、この日、太陽が「ヒンドゥー暦」の「マカラ宮」(山羊座)に入って、この日から、太陽が北半球を周り始めるからだそうです。

聖典によれば、この日は大いなる「霊的意義」のある日であり、この日から半年間を「ウッタラーヤナ」(北〔ウッタラ〕への行路〔アヤナ〕/北行/明るい半年)、残りの半年を「ダクシナーヤナ」(南行/暗い半年)と呼ぶということです。

また、この日は、農民の人たちが一年間の作業を終えて、「収穫」を喜ぶ日であり、「収穫祭」としても祝われています。

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つまり、1月15日は 「これまでに行なってきた仕事の実りを収穫して、それに感謝すると共に、新たなステージに進む時となる」ことを意味しているといえます。

このめでたい「サンクラーンティ」の日に、私は予想もしていなかった 「祝福」を頂くことになりました。それはペンダントから自然に湧き出してくるという「神秘的なアムリタ」を頂くというものです。

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マイソールの孤児院にはタクシーで行き、4時間ほどで着きました。

施設の方は私たちが着くのを待ってくださっており、着いてすぐに「聖なる祈りの部屋」に通されました。

その部屋の中央にある祭壇には「ビブーティ」(神聖灰)が湧き出しているサティア・サイババ様の大きな写真が飾られていました。なんと、その大きな写真全体がびっしりとビブーティで覆われているのです。

私はこれほど大量のビブーティが湧き出している壮観な写真を見るのは初めてだったので、大変驚きました。それで、写真の前に座って、じっくりと眺めさせて頂きました。

「いや~、本当にこの上なくすごい神秘的なことがあるものです!・・・」

感動しながら、写真の正面に座ってお祈りしていると、孤児院を営んでおられる女性の方がビブーティを紙のへらで削り取って、私の手のひらの上に乗せてくださいました。私は有り難く頂戴して、なめたり、頭にすり込んだりしました。ああ、なんという驚きでしょう!

「自然に湧いてきたビブーティはどんな感じで張り付いているのだろう?」と思って、「私も削っていいですか?」と聞くと、「どうぞ」という有り難いご返事。私はへらを借りて、写真から湧き出しているビブーティを削り、落ちてきたビブーティを紙に受け取って、それを頂くことができました。

しばらく、写真の前で過ごしていると、また女性が来て、今度は「アムリタ」を手のひらに注いでくださいました。その場で飲ませて頂いた「アムリタ」には、味わいのある甘みがありました。

1月15日の「サンクラーンティ」の祝日に、自然に湧いて流れ出してきているという「聖なる甘露」を飲ませて頂き、またサティア・サイババ様の写真から湧き出してきている「ビブーティ」も頂くことができて、神様のお導きと祝福に心からの感謝を捧げたのでした。

写真:ビブーティとアムリタ By Y.Kikutani(2020.01.15)555.jpg

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この孤児院では、小さな子供たちから、学校に通っている子供たちまで、45人の子供たちのお世話をしておられるということでした。近くにいた子たちに「みんな集まって~」と声をかけて、写真撮影をしました。
 

 写真:マイソールの孤児院の子供たち By Y.Kikutani(2020.01.15)369.jpg


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このような愛に満ちた「奉仕」と「信仰」に対して、神様が応えてくださり、ビブーティやアムリタを絶えることなく湧き出させてくださっているのでしょう。

私たちは感謝と尊敬の気持ちを込めて、運営のための献金をさせて頂きました。

「神様、誠に有り難うございます!」


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.「2020年1月16日(木)」 
  「ティルヴァンナーマライ行きの日程が決まる」

1月13日(月)の夜、クリスチャンからタクシードライバーのラマナさんの電話番号を聞いたので、翌日に電話をしました。すると「代金は片道7000ルピー(1万2千円位)で、7~8時間ほどかかる道のり」であることが分かりました。私は「7000ルピーは少し高額なので、時間がかかっても、バスの方がいいのかな」と考えました。

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当初の予定では、プッタパルティに1週間ほど滞在して、1月19日(日)に、ティルヴァンナーマライに向けて移動することを考えていました。

そろそろ移動方法や日程を決める必要があると考えて、アシュラムから近い旅行会社に行きました。そして、受付にいる女性に「19日頃、ティルバンナーマリーに行きたいので、バスの便を教えてもらえませんか?」と尋ねました。

すると、すぐに奥の席から責任者の男性がつかつかと近寄ってきて、言いました。「あなたは19日にティルバンナーマリーに行きたいということですが、18日ではどうですか?」

「19日前後でと考えていますが、18日というのはどういうことですか?」
「実は、19日にティルバンナーマリーからお客さんを乗せてくる予定になっているんです。18日に、うちのドライバーが迎えに行くので、そのタクシーに乗って行けばいいです。料金は半額の3500ルピーでいいです。この金額は、バスとタクシーを乗り継いで行くのと同じ料金ですから、グッドプライスです。どうですか?」

なんというぴったりのタイミングでしょう。私は思わず「神様、有り難うございます」と答えました。それで、半額の料金で、タクシーで行くことが決まったのでした。

さらに、受付の女性が、ティルヴァンナーマライにあるリーズナブルなホテルのリストを書き出してくれたので、何の問題もなくなりました。

「なんと、また神様が最善の形で導いて下さった。それはクリスチャンが教えてくれたタクシードライバーの『ラマナさん』がきっかけだった。本当にお導きがつながっている・・・」

ということで、1月18日(土)の昼頃に、プッタパルティを発って、アルナーチャラ山(シヴァ神の山)に向かうことがスムーズに決まったのでした。

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その後、私は誠実なご主人がおられるチベタンショップに向かいました。そして、「2週間ほどティルヴァンナーマライの方に行くので、私のスーツケースを預かってもらえませんか?」とお願いしました。ご主人は何のためらいもなく「いいですよ」と笑顔で快く引き受けてくださいました。それはまさに「チベタン・ターラー・マリアン・シンギング・ボウル」のご縁のお陰でした。

「有り難うございます。ターラー菩薩様、マリア様!」

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ところで、旅行会社での話に戻ります。

旅行会社の受付の女性のおなかがとても大きくなっていたので、「ベイビーですか?」と聞きました。すると「出産が近いので、来週から休みを取る予定です」という返事が返ってきました。私は「それは楽しみですね。もう赤ちゃんの名前は決めているんですか? もし、いくつか候補があれば、どの名前がいいか、赤ちゃんに直接聞いてみますよ」とさらに聞きました。すると、彼女は真剣な表情で「インドではそういうことをしてはいけないんです」と言いました。

それは「インドでは赤ちゃんが女の子の場合、産まれないようにされる可能性があるので、出生前の性別診断などは法律で禁止されている」からなのでした。それで「名前を考えるのも含めて、すべては産まれてからのこと」ということでした。

「でも、男の子か、女の子か、知りたいですか?」と続けると、興味がありそうです。私は「じゃあ、ちょっと聞いてみましょう」と言って彼女の手を取り、「筋肉検査法」で赤ちゃんに「あなたは男の子ですか? 女の子ですか?」と尋ねました。お母さんの身体を通して伝えられてきた赤ちゃんからの答えは「女の子です」というものでした。

私は「赤ちゃんは女の子みたいですよ。良い出産を・・・」と言って、店を出ました。

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約1カ月後にアンマのアシュラムからプッタパルティに帰ってきて、帰国する前、ベンガルールの空港に行くためのタクシーを予約するために、再びこの旅行会社を訪れました。

その時、男性の社員に受付の女性の赤ちゃんが無事に産まれたのか尋ねました。答えは「イエス」でした。私はさらに「女の子でしたか?」と聞きました。彼は笑顔で「イエス」と答えました。「私が『産まれるのは女の子ですよ』と言ったことを彼女から聞きましたか?」と尋ねると、「ノー」といぶかしそうな表情をしました。やはり、受付の女性は「産まれるまでは、赤ちゃんの性別の話をしない」ということを貫いていたようです。でも、私は赤ちゃんから聞いた答えが正しかったのを知って、「良かった」と嬉しく思ったのでした。

「すべては、めでたし、めでたし・・・」


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10.「2020年1月17日(金)」 
   「第二の聖地への旅の準備」

ティルヴァンナーマライへの移動日が予定より1日早くなり、今日は移動のための準備の日となりました。

有り難いことに、大きなスーツケースはチベタンショップで預かって頂けることになったので、小さなバッグを購入して、1週間程度の旅行に必要となる最小限のものだけを持っていくようにします。

 ♡ ♡ ♡

いつものように、この日も、夕方になるとサイクルワントホールに行って、ヴェーダとバジャンの祈りの時間を過ごし、サイババ様に一輪の薔薇の花を捧げて、短い旅行への旅立ちのご挨拶をさせて頂きました。

写真:インド:プッタパルティ:花1556-2 By Y.Kikutani(2020.02.21)555.jpg


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11.「2020年1月18日(土)」 
   「ティルヴァンナーマライ へ」

午後1時に、タクシーはティルヴァンナーマライに向けて発車しました。

田舎の村の中を通っている、曲がりくねった狭い道や、片道2車線のハイウェイ、けたたましい喧噪に満ちた街の中など、約400kmの道のりを、運転手さんはぶっ飛ばしながら走ってくれました。

そして、午後9時が近づいてきたころ、懐かしいティルヴァンナーマライの町の中に入りました。

旅行会社で教えてもらっていた、アシュラムの向かいにあるホテルに行って聞くと、例のごとく「1部屋空いています」という返事。「おお、それは有り難い。いくらですか?」と聞くと、「2400ルピー(約4000円)です」。「ああ、それは残念。予算オーバーです」。

私は昔から放浪旅行をするなかで、宿泊費などは極力節約するようにしています。基本的に、泊まるところには屋根とマットとはおるものがあれば、それで十分であり、非常に有り難いのです。

私は、待ってもらっていたタクシーに戻って、次のホテルに行くようにお願いしました。タクシーの運転手は、ホテルのガードマンと何か話をして、車を出しました。そして、アシュラムのゲートから近い路地を入ったところにある建物の前で止まりました。

受付に行って、料金を聞くと「1200ルピー」とのこと。先ほどの半額です。私は「オーケー」と言って、タクシーに戻り、荷物を取り出して、運転手さんにチップを渡して見送りました。

ホテルの部屋はメインストリートから離れており、静かに過ごすことできて、「とりあえず部屋が見つかって良かった」というレベルを超えており「とてもラッキーだった」と感じられました。



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12.「2020年1月19日(日)」 
   「聖者ラマナ・マハルシ」と「聖母アンマ」

私が泊まったホテルは、ラマナ・マハルシのアシュラムのゲートから、歩いて2~3分のところにあるという「最高の立地」でした。

朝、起きると、早速アシュラムに向かいました。
「久しぶりのラマナさま、こんにちは」。

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 シュリー・ラマナ・マハルシ

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シュリー・ラマナ・マハルシが最期の時を過ごされた部屋

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 シュリー・ラマナアシュラマムの入り口の門

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  シュリー・ラマナアシュラマムの庭

写真:ラマナ・マハルシ:アシュラムの看板 By Y.Kikutani(2020.01.19.) 555.jpg

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アシュラムがある通りには「アンマが1月26日に来られる」というアンマの写真入りの案内が出ていました。
「久しぶりのアンマさま、こんにちは」。

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本当にアンマの人気にはすごいものがあります。私はこれからラマナのアシュラム近辺で1週間過ごしながら、聖母アンマの到着を待つことになります。

「ラマナ様とアンマ様のお導きのもとで、どんな修行をすることになるのでしょう?」

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インドには多くの聖者が誕生されていることは、よく知られています。

1990年、今から30年前のこと。私は県庁を辞めて、初めてインドとネパールを訪れて、「仏陀」の足跡をたどりました。その時、インドという国や人々の姿などを眺めながら、この地には「天国と地獄がある」と強く感じました。

インドには「普通を超えた」素晴らしい聖者が生まれてきておられます。しかし、それは「普通を超えた」極端な貧富の差や厳しい貧しさ、(かつて存在していた)カースト制度による不平等や宗教に基づく混乱などに満ちているインドの社会だからこそ、といえるようにも思われます。

深い嘆きや悲しみ、ひどい苦しみに陥っている人々が非常に多いため、彼らを救うために、最高の意識をもたれた聖者が彼らを守り導くために、降りてきて下さっている、といえるように思われるのです。
それはある意味で「天と地」を結んでいる「バランス」であるのかもしれません。

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南インドのタミル・ナードゥ州に「シヴァ神のご神体」ともいわれる「アルナーチャラ山」という聖なる山があり、そこに「ラマナ・マハルシ」という「沈黙の聖者」が住んでおられました。

そして、
若くして「私は誰か」ということを悟られ、多くの言葉を語ることなく、平和に満ちた「沈黙の微笑み」をたたえながら過ごしておられました。その後、帰依者の方たちに乞われて、山の麓に下りてこられて、そこに「アシュラム」 (修行場)ができました。そして、そこには今、世界中からたくさんの人たちが訪れて、自分に問いかけています。

「私は誰か?」と。

それは人間に与えられる「究極の問いかけ」であるようにも思われます。

(その答えについて、アンマもしっかりと教えてくださっています。)

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私は『聖母マリアの秘密』の改訂前のバージョンの本を「英語」に翻訳して、アメリカのAmazonで販売しています。この本は「映画の原作」になることを目的として発行されました。

しかし、「シナリオ」を書いていくプロセスにおいて、徐々に「映画は日本でアニメーション映画として製作され、世界に届けられるべきものだ」と考えるに至り、改めて『神様の秘密 シナリオブック』を執筆することになりました。
神様の秘密 シナリオブック』菊谷泰明 | Amazon


英語版(改訂前)の『聖母マリアの秘密』を読んでくださった方々には「星4.6」という評価を頂いていますが、レビューに次のように書かれた読者の方がおられました。

(英文)

This book is excellent!

The author of this book traveled holy places in the whole world to find himself after he had quitted his job. His journey is summarized in this book.

I felt the content has something in common that everyone would be moved. This book is recommended for anyone who has ever thought about "what is a human being".

(翻訳)

この本はすばらしい!

この本の著者は仕事を辞めた後、自分探しのために世界中の聖地を旅しました。その旅について、この本にまとめられています。


誰もが感動するような共通点のある内容だと感じました。この本は「人間とは何か」を考えたことのある人にオススメです。

 ♡ ♡ ♡

つまり、この読者の方は「人間とは何か?」を考えておられるということです。

そして、その問いに対する答えとして、
ラマナ・マハルシは私はだれか?」ということを伝えてくださったといえます。


『聖母マリアの秘密』や『神様の秘密』の世界は「なかなか奥が深い」といえるのかもしれません!


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13.「2020年1月20日(月)」 
   「
アルナーチャラ山」と「9999」

朝、ふと思いついて、泊まっているホテルの屋上に上がってみました。

すると、どーんと、くっきりと、目の前に、アルナーチャラ山の雄姿がそびえ立っているではありませんか! なんと有り難いことでしょう! 本当に良い宿に導いて頂いたものです。

有り難うございます。アヴェ ラマナ! アヴェ マリア! アヴェ アンマ!

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ティルヴァンナーマライに着いた1月18日(土)の夜9時に、今、泊まっているホテルの受付に行くと、「何泊しますか?」と聞かれました。私が「1週間くらい」と答えると、「ここは満員なので別の建物になりますが、それでいいですか? 料金は1200ルピーです」ということでした。

私が「OK、Good」と答えると、「私は店番で、マネージャーは別にいます。長期で泊まる時のディスカウントについては、マネージャーに相談してください」という有り難いアドバイスを頂いて案内してもらいました。

 ♡ ♡ ♡

昨日の19日もマネージャーは不在で、部屋代を払うことなく、20日の今日、また受付に行きました。するとマネージャーがいたので、宿泊数とディスカウントの話をすると、「1泊1000ルピーで良い」とのこと。私が「インドでは9の数字がラッキーナンバーだから、9がいいですねえ。アンマが来られる26日まで、ちょうど9日間泊まるし」と言うと、「じゃあ999ルピーにしましょう」ということで、初日の1200ルピーも999ルピーにディスカウントして頂きました。

999ルピー×9泊ということで、「9999」の数字が現れてきました。とても縁起がいい感じがします。どんな意味があるのだろうと思い、「エンジェルナンバー9999」の意味を調べてみました。

 ♡ ♡ ♡

「あなたと世界の中で、ひとつの周期が終わり、また新たな方向へと進むときが来たようです。

あなたはライトワーカーとして、非常に重要な役割を担っていて、天使たちはあなたが目覚め、その使命を全うするようにと働きかけています。

あなたは人々にとって大きな希望の道しるべであり、それだけ大きな影響を与えられる存在だということを自覚してください」。

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この「9999」のメッセージは、今という「大きな変化の時代」において、すべての人に当てはまるような、大切なメッセージであるように感じられました。

私たちは「神様」や「マリア様」や「アンマ様」や「天使様」方からのお導きや祝福のエネルギーを頂きながら、より良い方向に進んでいくように努めていきたいと思います。

どうぞ、神様の御心が行なわれますように。

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マネージャーさんの話では、今はそれほど気温が高くない時期なので(とは言っても、ティルヴァンナーマライでも30℃はあるのですが)、繁忙期であり、訪れて来る人も宿泊客も多いとのこと。

実は、このホテルも満員状態が続いており、私が着いた18日の夜も、空いている部屋は、私が泊まっている1部屋だけだったということでした。やはり「ラストワン」の部屋を開けて待って頂いていたようです。改めして、感謝を捧げた次第でした。

「誠に有り難うございます。
アヴェ ラマナ! アヴェ マリア! アヴェ アンマ!」


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14.「2020年1月21日(火)」 
     「アルナーチャラ山に登る」

ティルヴァンナーマライに着いてからの2日間は、アシュラムに通い、マハリシがおられた部屋などで、瞑想をしたりしながらゆっくりと過ごしました。

そして、3日目となる今日、ようやくアルナーチャラ山に登ることにしました。

熱くなっている石の山道を裸足で30分ほど歩いていくと、ラマナ師が1916年から22年までの7年間住んでおられた「スカンダ・アシュラム」に着きました。

写真:ラマナ・マハルシ:スカンダ・アシュラムへの道2 By Y.Kikutani(2020.01.21)555.jpg
 日中に裸足で歩くと石畳はかなり熱いです

写真:ラマナ・マハルシ:スカンダ・アシュラムへの道22 By Y.Kikutani(2020.01.21)555.jpg
 途中の道ばたに開かれているお土産屋さん

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    すべて手彫りの石細工です

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 アルナーチャルシュワラ寺院が見えてきます

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ラマナ・マハルシが7年間住んでおられたスカンダ・アシュラムに着きました。
静けさと、祈りと、瞑想に満ちた、聖なる場所です。

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写真:ラマナ・マハルシ:スカンダ・アシュラムへの道16 By Y.Kikutani(2020.01.21)555.jpg
 ラマナ・マハルシの祈りと瞑想の部屋です。

写真:ラマナ・マハルシ:スカンダ・アシュラムへの道17 By Y.Kikutani(2020.01.21)555.jpg

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すると、私に黄色い花を渡し、ラマナ師に捧げなさいと身振りで示す若者が現れました。私は有り難く頂いて、ラマナ・マハルシに一輪の花を捧げました。

彼はインド特有の「ボランティア『風』のガイドさん」です。親切にいろいろなことをガイドして下さるのですが、それは単なる親切ではなく、ガイドを終えると、お金を求めてこられるのです。私たちはそれが分かっていて、その時々の必要と流れに応じて、ついていったり、お断りしたりします。そのことを知らずに、「親切な方だなあ」と思いながらついていくと、最後に驚いてしまうことになります。

インドには、日本とは異なる独特な文化やり方などがありますから、うまく乗っていくことが求められます。そして、「ボランティア風ガイドさん」との間には「あうんの呼吸」が必要になります。

 ♡ ♡ ♡

ラマナ師の瞑想の部屋から出ると、先ほどのガイドさんが再び近づいて来て、解説を始めました。
今日
のガイドさんによって、私は「スカンダ・アシュラム」でのラマナ師の暮らしなどについて学び、理解することができて、大変有り難かったのでした。

彼は私を自然な流れの中で「コブラ・ケイブ(コブラの洞窟)」に連れていってくれました。ここは岩の形が蛇のコブラの頭のように見えるので、「コブラ・ケイブ」と呼ばれているそうです。

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「ラマナ師は毎朝ここに座って、瞑想しながら、朝陽を迎えておられた」とのこと。ここは非常に重要な場所なのでした。

私もラマナ師が座っておられた岩に座らせて頂きました。また
一人で静かにゆっくりと座り、瞑想させて頂きたいと思います。

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「ああ、アルナーチャラ、アルナーチャラ」。
「アルナーチャラ」は確かに素敵な場所です。
シヴァ神の中に溶け込んでいけたら幸いです。

「有り難うございます。シヴァ神様!」


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15.「2020年1月22日(水)」 
     「アルナーチャラ山」と「22」

今日は今年初めての「22日」で、大切な意味のある日のように感じられました。

朝、8時頃、洗濯物を干すために、屋上に上がりました。すると、アルナーチャラ山に「笠雲」がかかっています。きれいな雲が山頂の辺りで湧き出して、流れていました。

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 ♡ ♡ ♡

「分離」の訪れを感じながら、「調和」を求める。
「過去」でも「未来」でもなく、「今」という時に集中する。
「私」を「空」にしていき、「源の自己」とつながる。

シヴァ神のご神体であるアルナーチャラ山を眺めながら、いろいろな思いが湧いてきました。

「有り難うございます。アヴェ ラマナ! アヴェ アルナーチャラ!」


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16.「2020年1月23日(木)」
       「アルナーチャラ山登拝」

1月23日(ひふみの日)、私は午前5時に起きて、水を浴びました。

そして、5時45分に、アシュラムの門の前でインド人のガイドさんと待ち合わせして、門の近くにある「プージャ用品屋さん」で、プージャで使う品々を求めました。それは「アルナーチャラ山」の頂上で、シヴァ神様に捧げる「プージャ」の儀式をするためです。

そして、6時に、アシュラムの裏にある門からアルナーチャラ山頂に向けて、歩き出しました。

 ♡ ♡ ♡

登る途中、7時頃に、美しい「朝陽」が昇ってきました。アルナーチャラ山から見える朝陽の色は、普通とは異なるように感じられました。

ラマナ・マハルシはこの「朝陽」を毎朝、コブラ岩に座って、瞑想しながら迎えておられたということです。私たちもしばらく「朝陽」を拝んだ後、再び歩き始めました。そして、8時半頃、頂上に着きました。

それから、10時までの1時間半にわたって、「プージャ」の儀式を執り行ないました。

 ♡ ♡ ♡

山頂には、シヴァ神を意味する(表す)大きな岩がありました。

基本的に「アルナーチャラ山」自体が「ご神体」なのですが、頂上にも、大きな岩「磐座」(いわくら)があり、それが「シヴァ神の御姿」として礼拝されているということです。その岩の「頭」と「足」にあたる部分に、花やココナッツや線香などをお供えして、お祈りするのです。

私たちが頂上に近づいて来た頃、急に前が見えないほどの「霧」が現れてきて、身体が飛ばされるほどの「強風」が吹いてきました。ガイドさんは「これはすごい吉兆です。シヴァ神が喜んでおられるしるしです」と言うのでした。

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神様からの歓迎と祝福を感じながらご神事をすることができるというのは何という幸いなことでしょう!
私たちは心から喜び、感謝の気持ちを込めて、磐座に花やお祈りを捧げさせて頂きました。

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 ♡ ♡ ♡

この日もいつものように、大事なご神事をする時の「お人払い」があり、私とガイドさんの二人だけで、集中して「ご神事」(プージャ) をすることができました。

私はサンスクリット語の「マントラ」と共に、日本の「天津祝詞」も唱えさせて頂きました。

そして、今年の正月(1月4日)に、奈良の三輪山に登拝したときに、狭井神社で購入していた「三輪山の御神水」をシヴァ神のご神体の岩の上に振りかけさせて頂いたのでした。

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これによって、「日本の神々様」と「インドの神々様」がつながれて、これからの「世界におけるご神事」(神様からのお導きの出来事)がさらに強力(協力)に行なわれるように願いました。

 ♡ ♡ ♡

儀式が終わった10時頃、強風はやみ、霧が晴れて、太陽が現れてきました。
ああ、なんという「グッド・タイミング」なのでしょう!
これは間違いなく「ゴッド・タイミング」なのでした!

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「大変有り難うございます。オーム ナマ シヴァーヤ!」

 ♡ ♡ ♡

私たちは10時に山を下り始めました。そして、ゆっくりと歩いたり、休憩しながら、12時頃に、アシュラムの門に帰ってきました。「登り」と「下り」と「ご神事」を合わせて、合計6時間という充実した「アルナーチャラ山登拝」でした。

 ♡ ♡ ♡

アルナーチャラ山を登る道の脇には、きれいな花や竹笹などが生えていました。ラマナ・マハルシもこのようなかわいい花々などを愛でながら過ごしておられたのでしょう。

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「ああ、アルナーチャラ、アルナーチャラ。
 ああ、シヴァ神様の山、アルナーチャラ。
 私たちを守り導いて下さり、誠に有り難うございます。」

 ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡

(補記)

昨年の暮れ、「マリア様のお祈りの会」in 関西 から帰京する時、「正月に、奈良・橿原・三輪山などに行くよう」に促しを受けました。

三が日の三日間で、奈良近辺にある大切な寺社などを訪れたように感じられたので、1月3日の夜に京都から新幹線で帰ろうとしました。すると、「すべて満席」ということで、東京に帰れなくなりました。

翌日以降の空席を尋ねると、翌日(4日)の「午後6時39分」京都発の「のぞみ404号」に「今、キャンセルが一席出ました。これでいいですか?」ということです。お陰様で、私はこの便で帰京できるようになりました。

私は出来事の流れを振り返って、「これは、三輪山に登拝しなさいというお導きのようだ」と感じました。三が日の間に三輪山に登拝しようと考えていたら、「三が日は登拝できず、4日からできます」ということで、諦めていたのです。しかし、京都からの新幹線が6時39分発であれば、昼間、三輪山に登拝した後、京都に移動すれば良いことになります。それで、私は4日の午前中に三輪山に登ってお祈りを捧げることにしました。

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そして、その際に三輪山の「御神水」を購入して、今回の「アルナーチャラ山でのご神事」で使うことができたのでした。
今になって思えば、正月の「奈良(大和)巡礼」と今回の「南インド巡礼」は、神々様の世界において計画されたご神事であり、つながっていたようにも感じられたのでした。

そう考えれば、いよいよ「世界中の神々様方」が共にお働きくださり、動き出される「時」が訪れてきている、と言えるようにも思われます。

 ♡ ♡ ♡

今、世界中で、様々な形で、大きな問題が「起き続けて」います。
それらの出来事は、私たち人類の心が神様(創造主・全宇宙・本源)から離れていることの「大きなしるし」であり、私たちが神様に心を向けて過ごす必要があることを告げ知らせているように感じられます。

私はこれまで「大きな変化の時代が訪れてきます」とお伝えしてきていますが、いよいよ「大きな動き」が現れてくる「時」が徐々に近づいてきているように思われます。

「その時、自分はどうするのか?・・・」

私たち一人ひとりが、自分の生き方を見つめ直す「時」が来ているように感じられます。


 ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡

17.「2020年1月24
日(金)」
       「いつもの
アルナーチャラ山」

ラマナ・マハルシのアシュラムのホールでは、毎朝8時から、「ヴェーダの詠唱」やラマナ師のお墓への「プージャ」などが、1時間ほどかけて行なわれます。今朝はこのプログラムに参加しました。

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午前8時に、約20人ほどの子供たちによるヴェーダの詠唱が始まる時、ホールを冷たい霊風が吹き抜け、爽やかなエネルギーに包まれます。本当に不思議な感覚です。心のこもった純粋な祈り(マントラ)の波動には、「清らかな力」があることを実際に感じさせられます。

それで、マリア様も「祈りなさい、祈りなさい、祈りなさい。祈りが喜びとなるまで祈りなさい」と言われるのでしょう。ですから、マリア様と共にお祈りする「マリア様のお祈りの会」も非常に大切であるといえるように思われます。

 ♡ ♡ ♡

プログラムを終えると、アシュラムから歩いて10分ほどの所にある建物の2階で営業しているネパール系のレストランに行きました。

一番奥の席まで進むと、そこから真正面にアルナーチャラ山の雄姿がどーんと見えます。今日は、いつものように穏やかな天気の真っ青な空のもとで、優しい姿を見せてくださいました。

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やはり、昨日の「ひふみの日」に行なわれた「アルナーチャラ山」での「濃霧と強風」の中でのご神事は「祓い浄め」をしてくださったような、特別なものであったことが改めて感じられたのでした。

「有り難うございます。アルナーチャラ山様、シヴァ神様、ラマナ・マハルシ様」

 ♡ ♡ ♡

隣の席で、インド人の若い男性がアルナーチャラ山をじっと見つめていました。なんとなく、彼との話が始まって、「昨日、あの頂上に登ったんですよ」と言うと、「ええっ! あの頂上までですか?」と驚きの言葉が返ってきました。しかし、話が進んでいくうちに、今度は私が「ええっ! マジですか?」と驚くことになりました。

32歳の彼は、2年前の30歳の時に、「チベットのカイラス山」を巡る旅に出て、3日間かけて、カイラス山の周りを歩いて巡ったということでした。「オー・マイ・シヴァ!」

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   カイラス山(ウイキペディアより)

ネパールのカトマンドゥからのルートと、北インドからネパールを通っていくルートの二つがあり、彼は北インドからのルートで、3週間近くかかって巡礼したとのこと。インドの南にある聖なるシヴァ神の山「アルナーチャラ」の麓で、チベットにある聖なるシヴァ神の山「カイラス」に登った人と出会って、話を聞くことができたというのも、大変幸運で有り難いことでした。

「有り難うございます。シヴァ神様!」

 ♡ ♡ ♡

ここで南インドの料理をご紹介したいと思います。

・「ミールス」(70ルピー:120円)
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普通は、バナナの葉っぱの上に、直接ご飯と惣菜をのせて、手で食べるのですが、写真を撮った店では、外国人用に、プレートとカップを用意して下さり、スプーンで食べることができました。私も時々、手で食べることがあります。

・「ローティ」(2枚で20ルピー:35円)
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  薄ーいお好み焼きのような感じです。

・「イドリ」(2個で35ルピー:60円)
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   米粉をふかしてつくられるようです。

どれも大変おいしく頂きました。ごちそうさまでした!


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18.「2020年1月25日(土)」① 
       「九つの寺院巡り」と「世界合同 お祈りの会

聖者ラマナ・マハルシが暮らしておられたティルヴァンナーマライで、最も大きく、有名なのは「アルナーチャルシュワラ寺院」です。

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写真の後ろに写っている、広大な敷地と古い歴史を有している「アルナーチャルシュワラ寺院」は、アルナーチャラ山とティルヴァンナーマライの町を守っている、と言えるのかもしれません。

 ♡ ♡ ♡

今日は、午前中に、この「アルナーチャルシュワラ寺院」に参拝して、シヴァ神様にご挨拶をしました。

そして、午後は、アルナーチャラ山を取り囲むようにして建てられていて、「大きなシヴァリンガム」をお祀りしている「8つの寺院」を訪れて、お祈りしました。

写真:ラマナ・マハルシ:8寺院 By Y.Kikutani(2020.02.25)555.jpg

写真:ラマナ・マハルシ:8寺院2 By Y.Kikutani(2020.02.25)555.jpg

写真:ラマナ・マハルシ:8シヴァリンガム? By Y.Kikutani(2020.01.25)555.jpg

写真:ラマナ・マハルシ:8シヴァリンガム8-1 By Y.Kikutani(2020.01.25)555.jpg
   8番目のシヴァリンガム寺院

写真:ラマナ・マハルシ:8シヴァリンガム8-2 By Y.Kikutani(2020.01.25)555.jpg
   8番目のシヴァリンガム寺院

写真:ラマナ・マハルシ:8シヴァリンガム8-3 By Y.Kikutani(2020.01.25)555.jpg
   8番目のシヴァリンガム寺院

したがって、「アルナーチャルシュワラ寺院」と8つの「シヴァリンガ寺院」の合計「9カ所の寺院」を、アルナーチャラ山の麓を時計回りに一周しながら、1日で訪れたことになります。

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そして、これから約1時間後の、日本時間で「午後9時」(インド時間で「午後5時半」)から、「世界合同 お祈りの会」が開催されることになります。

私はこれから、たくさんの人たちが祈り、瞑想している、ラマナ・マハルシのアシュラムの「ホール」に行き、そこでお祈りします。

1日で9つのシヴァ神の寺院を巡って、頂くことができたエネルーと、参加される皆様がつながって頂けましたら幸いです。

「有り難うございます。アヴェ マリア! アヴェ アンマ! アヴェ ラマナ!」


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19.「2020年1月25日(土)」② 
       「
第23回『全国合同 マリア様のお祈りの会』」

第23回「全国合同 マリア様のお祈りの会」が2020年1月25日(土)午後9時から30分間開催されます。

全国の皆様とご一緒に、マリア様、イエス様と共に、
「ロザリオの祈り」や「平和の祈り」などを唱えながら、
それぞれの場所で、祈りの一時を過ごして頂ければと思います。

「瞑想」をされたり、いつも唱えておられる「お祈り」を捧げて頂いても結構です。
多くの方々のお祈りのエネルギーのつながりのなかで、良い時間をお過ごし下さい。

写真:「マリア様のお祈りの会 in 関西」By Y.Kikutani 555.jpg

 ♡ ♡ ♡

1月25日(土)、主催者の菊谷は、南インドのティルヴァンナーマライに滞在しています。
ここには「沈黙の聖者」と呼ばれた「ラマナ・マハルシ」が過ごしておられた 聖なる「アシュラム」(修行場)があります。
そして、ここには世界中からたくさんの人が訪れてきており、瞑想や祈りなどをされています。
ラマナ・マハルシが説かれた「私は誰か?」を探求するために、瞑想と祈りを深めておられます。

写真:ラマナ・マハルシ:ホール By Y.Kikutani(2020.01.28)555.jpg

今日の「全国合同 マリア様のお祈りの会」は、ティルヴァンナーマライと日本がつながれて行なわれることになります。大変すばらしいことであると思われます。

「日本時間の午後9時~9時半」は「インド時間の午後5時半~6時」になりますから、私はその時間に合わせてお祈りします。

どうぞよろしくお願い致します。
有り難うございます。

 ♡ ♡ ♡

上記はFBなどでの「ご案内文」でした。
そして、無事に日本とインドをつないでのお祈りの会は行われました。
有り難うございます。


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20.「2020年1月25日(土)」③ 
       「メジュゴリエのマリア様からの『マンスリー・メッセージ』」

今、現在も、東欧のメジュゴリエで、「幻視者」の前に姿を現わしておられる「聖母マリア」が、毎月1回、25日に、世界に向けて「マンスリー・メッセージ」を伝えておられます。

どうぞ、マリア様のメッセージに心を向けて下さい。

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いとしい子たちよ!

今日、私はあなたたちに、許すことの神聖さを心の中に感じるまで、もっと祈るように呼びかけます。

かわいい子たちよ、家族の中に神聖さがなければなりません。

なぜなら、愛と神聖さのない世界に未来はないからです。

また、神聖さと喜びのなかで、あなたたちは計り知れない愛で皆さんを愛しておられる創造主である神様に自分自身を捧げることができるからです。

それで、神様は私を皆さんのもとに遣わしてくださっているのです。

私の呼びかけに応えてくださってありがとう。

「メジュゴリエのマリア様」 By Y.Kikutani  369 .jpg


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メジュゴリエでの「聖母マリアのご出現」は今現在も続いています。

下記のアドレスに、「メジュゴリエのマリア様」からの「マンスリー・メッセージ」がありますから、読んで頂いて、マリア様の御心やご出現の意味などについて感じて頂けましたら幸いです。

 《 幻視者マリアへの「マンスリーメッセージ」


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21.「2020年1月26日(日)」
       「アンマがいっぱい!」

今日、聖母アンマが聖者ラマナ・マハルシの聖地ティルヴァンナーマライに来られます。

シヴァ神のご神体である聖なるアルナーチャラ山の麓にアンマが来られて、ダルシャンを与えて下さいます。何と有り難いことでしょう! 

町中に「アンマのポスター」が溢れています。

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アンマの愛と笑顔がティルヴァンナーマライの町を包んでいます。

ただ事ではない雰囲気です。素晴らしいですね!


世界中からラマナ・マハルシのアシュラムに訪れてきている人たちはもちろんのこと、地元の人たち、近郊の人たちがぞくぞくと集まってきて、徹夜のダルシャンになるのではないでしょうか。アンマは訪れて来た最後の一人まで抱きしめて下さいますから。

「オーム アムリテーシュワリイェイ ナマハ!」


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22
.「2020年1月26日(日)」
       「アンマのダルシャン in ティルヴァンナーマライ」

アンマのダルシャンのプログラムは午後6時に始まるので、5時過ぎに会場に入ると、ものすごい人の姿がありました。

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入り口からステージまで100mをこえる距離があるのですが、そこにはぎっしりと椅子が並べられており、既にたくさんの人が座っていました。私は空いている席を探しながら、前に進んでいきました。

写真:ラマナ・マハルシ:アンマのダルシャン2 By Y.Kikutani(2020.01.26)555.jpg

写真:ラマナ・マハルシ:アンマのダルシャン3 By Y.Kikutani(2020.01.26)555.jpg

写真:ラマナ・マハルシ:アンマのダルシャン4 By Y.Kikutani(2020.01.26)555.jpg

写真:ラマナ・マハルシ:アンマのダルシャン5 By Y.Kikutani(2020.01.26)555.jpg

写真:ラマナ・マハルシ:アンマのダルシャン6 By Y.Kikutani(2020.01.26)555.jpg
写真:ラマナ・マハルシ:アンマのダルシャン7 By Y.Kikutani(2020.01.26)555.jpg

ティルヴァンナーマライでのプログラムはこの日だけですから、近郊の人たちも含めて、多くの人たちが集まっておられるのでしょう。会場の大きさを見れば、その規模がご理解頂けると思います。軽く数千人をこえる規模であり、最終的には1万人を超えたと言われています。

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会場から2kmほど西の方に、「アルナーチャラ山」がくっきりと見えており、この場が「シヴァ神」と「アンマ」のコラボによる、エネルギーに満ちたプログラムであることがはっきりと分かるのでした。

写真:ラマナ・マハルシ:アンマのダルシャン10 By Y.Kikutani(2020.01.26)555.jpg

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プログラムの内容は次のようなものでした。

・18:00 プログラム・スタート
         来賓の方々の挨拶など(1時間)
・19:00 アンマの御講話(1時間)
・20:00 バジャン(神様への賛歌)(1時間半)
・21:30 アンマによる瞑想指導(1時間)
       女神様とつながるための瞑想
       自分と世界を平和にするための瞑想
・22:30 ダルシャン・スタート

 ♡ ♡ ♡

瞑想指導が終わった時、アンマのダルシャンを受けるための「整理券」(トークン)が配布され始めたようでした。

あまりにも広い会場で、どこで、誰が、どのように配布しているのか全くわからないので、とりあえず一息つこうと、トイレに向かいました。
すると、近くの広場で、無料の食事が振る舞われていました。私はカリー味のフライドライスを有り難く頂いて、ゆっくりと会場に戻りました。

すると、多くの人たちがダルシャンの列に押しかけて、押し合いへし合いしながら並んでいました。私も整理券を頂こうと、スタッフと思われる人に「整理券はどこでもらえますか?」と聞きました。すると「Finish。整理券の配布は終わりました」とのこと。「え、配布は終わったんですか?・・・。しかし、これだけの人が集まってきているのだから、それも仕方のないことだろう。私はこの後、ケララ州にあるアンマのアシュラムに行って、そこでゆっくりとアンマに会える時間があるのだから、ここではアンマの姿を見つめることに集中しよう」と思ったのでした。

その時、後ろから声をかけられました。
「整理券が必要ですか?」
「はい」
「私は友達の分も持っているんですが、友達が帰ったので、必要のない整理券があるんです」
それをくださるんですか? 有り難うございます」

大変有り難いことに、私は列に並ばないまま、整理券を手に入れることができたのでした。「いつものことながら、アンマ、誠に有り難うございます」と心からのお礼を言ったのでした。

 ♡ ♡ ♡

私のダルシャンの順番が来たのは、午前1時頃でした。アンマのダルシャンの様子をモニターなどを通して見ていると、アンマが一人を抱きしめておられる時間は「約3秒」という感じです。

日本でのダルシャンでは、10秒から30秒くらい抱きしめて下さいます。しかし、ティルヴァンナーマライでは、1万人を超えるほどの人の数ですから、3秒ほどが限度ということになるのでしょう。「ワンツスリー、ワンツスリー、ワンツスリー」というリズムで、テンポ良く抱きしめていかれるのでした。

私は「今日は、アンマとの接触は3秒程度なので、お礼をお伝えするだけになるだろう」と思いながら、進んでいきました。

今回、私が「南インド巡礼」の旅をするようにお導き下さったこと。また、「アルナーチャラ山」の聖地でアンマを待つ形でスケジュールや流れをつくっていて下さっていたことなどについて、与えられた3秒の中で、ただひたすら心を込めて「サンキュー!」と感謝の気持ちをお伝えしたいと考えていました。

 ♡ ♡ ♡

私の順番がきて、アンマの前に進むと、私はアンマに向かって「アンマ、サンキュー」と言いました。すると、アンマはニコニコと笑いながら「ありがとう」と日本語で応えて、私を抱きしめてくださいました。

「ええっ! アンマが日本語で『ありがとう』と言って下さった」と、驚きの思いが湧いた瞬間、アンマは右手で、私の左耳をつまんで、引っ張り上げられました。私は思わず「イタタタタタ」と声を上げながら、腰を浮かしました。本当にすごい力でした。

アンマは「いたずらっ子」をからかうお母さんのように、本当に楽しそうにニコニコと笑っておられました。私が、手のひらに乗せて用意していた「以前、アンマが身につけておられたルドラクシャのマーラー(数珠)」などを差し出して、祝福して下さるようにお願いすると、アンマは両手をふせる形で、私の両手にかぶせて下さり、同時に「プラサード」と呼ばれるビブーティなどのお土産を、手のひらに乗せてくださいました。

私は今日したかったことのすべてをすることができて、心から満足して立ち上がりました。すると、私はステージに上がって、アンマの後ろで過ごすように導かれたのでした。まさに、「サンキュー! アンマ!」の一言に凝縮される、貴重な時間と場を与えて下さいました。

 ♡ ♡ ♡

アンマの前で立ち上がりながら、「アンマは私のことを本当によく知っておられる」という思いが湧いてきました。アンマはこれまでに、私の夢に出てきて下さったり、初めて訪れたアンマのアシュラムで特別の祝福を下さったり、今まで、アンマとのつながりの中で、様々なことを体験させて頂きながら、「アンマは私のことを知って下さっている」と感じていましたが、今日改めてそう思ったのでした。

そして、「そうだとすれば、なぜアンマは私の耳をつかんで引っ張り上げられたのだろう?」という疑問が湧いてきました。これまでアンマのダルシャンの場にいた時、耳を引っ張られた人を見たことはありません。インドでも、日本でも・・・。ほっぺたをつまんだり、つつかれるようなかわいい仕草をされたことはありましたが、耳を引っ張り上げられるというようなことはありませんでした。

「なぜアンマは私の耳をつかんで引っ張り上げられたのだろう?」。アンマの行為には、私に対する何らかのメッセージが込められているように感じられました。「その意味は一体何なのだろう?」。私はそう考えざるをえませんでした。

アンマの目から見て、「私に足りないところがある」ということを指摘しておられるのかもしれません。アンマは愛を込めて、それを私に教えて下さったのではないでしょうか?

「それでは、私に足りないところとは一体何なのだろうか?・・・」

私に足りないことはいろいろとたくさんあるでしょうが、特に、今、私をティルヴァンナーマライに招いて、伝えなければならないこととは何なのか?・・・

「アンマは私のことをよく知っておられる」という思いと、「私が気づかなければならないことは何なのだろうか?」という二つの思いが同時に浮かんできて、私はその答えを知りたいと思いました。

アンマは「ありがとう」と日本語で一言言われただけで、ほかには何も言われず、楽しそうににこにこと笑いながら、私の耳をつかんで引っ張り上げられただけです。しかし、その行為には愛に満ちた大切なメッセージが込められているように思われました。

わずか数秒の間、接触しただけで、一人の人間にここまで深く考えさせられるというのは、アンマの「愛」と「知恵」と「エネルギー」はなんと大きいのでしょう! ただ感心するしかありません!

 
♡ ♡ ♡

アンマの後ろで、20~30分ほど過ごさせて頂いた時、「もっとアンマの近くに行きたい」という思いが湧いてきました。それで「プラサードセヴァをしよう」と思いました。

「プラサードセヴァ」というのは、アンマがダルシャンを受けられた人に、手渡して下さる「ビブーティ」や「クムクム」、「キャンディ」などのプレゼントを、アンマの手に直接お渡しする「奉仕の仕事」(セヴァ)です。

そのセヴァを希望している人たちが控えている場所に行くと、20~30人たちが椅子に座って順番を待っていました。列の最後に並んで、20~30分が経過して、私が呼ばれる順番になりました。

プラサードセヴァをしたい人をステージに呼び出す役割の女性が、私の左手首を確認して、言いました。(私はスタッフの人であることを示す紫色の腕輪をしていませんでした。)「あなたはスタッフではありませんね。今、スタッフで、プラサードセヴァをしたい人がたくさん並んでいるので、その人たちが優先になります。あなたの順番は一番最後になります。私が言っていることを理解して下さるでしょうか?」。そう言うと、彼女は私の後ろに並んでいる人を連れていきました。

「20~30分並んで待って、スタッフの希望者が途切れる、最後の時まで待つというのは少し辛い。最後の順番といっても、どれだけ待てばいいのかわからないというのも少し辛い。スタッフを優先するという方針は理解できるが、私には今、アンマの近くに行きたいという気持ちが湧いてきている。人にこんなことを言っても、仕方ないけど・・・」。

「さて、どうしたものか」と思った瞬間、日本に毎年来て下さって、いろいろな形で日本人の霊性指導して下さっている、アンマの高弟「プールナ・スワミジ」が目の前のステージから下りて来られるのが目に入りました。私は思わず駆け寄っていき、こんにちはと挨拶しました。スワミジは私のことを覚えていてくださり、微笑んで「いつ来たのですか?」と言葉を返してこられました。
「1週間ぐらい滞在しています」
「ああ、そうですか」
「ところで、私はプラサードセヴァをしたいのですが」
「ああ、いいですよ。ついてきてください」

スワミジはそう言うと、私を連れてステージに上がり、プラサードセヴァの担当の男性に「この人をプラサードセヴァに入れるように」と言われました。男性のスタッフが「分かりました」と言うと、スワミジは「彼についていけばいいです」と笑顔で言われました。私は心からのお礼を言って、スワミジを見送りました。

私がプラサードセヴァの列に並んだのを見て、先ほどの女性が近寄ってきて、男性のスタッフに何かを言いました。しかし、男性スタッフは私のところに来て、「スワミジが言われたのですから、あなたはこの列に並んでいてください」と言いました。大変有り難いことに、アンマの高弟の指示ですから、これ以上に力強いものはありませんでした。「プールナ・スワミジが現れてきてくださったお陰で、すべてがスムーズに進んでいる」と感謝すると共に、この出来事もアンマがらの恩寵であるように感じられたのでした。

私は有り難く、アンマの側でプラサードセヴァをさせて頂きました。そして、その後、ステージの上で、アンマの姿を眺めながら過ごすことができました。「アンマのダルシャンを頂きたい」と考えていると、恩寵が「雨」のように降り注がれてくるのでした。本当にすごいですね!

「有り難うございます。アヴェ アンマ!」

 ♡ ♡ ♡

プラサードセヴァをを終えて、アンマのステージの後ろの方に座っていると、スタッフの女性から声をかけられました。「セヴァをして欲しい」とのことです。「どんなセヴァですか?」と聞くと、「アンマのダルシャンを受ける人たちの顔を拭く仕事です」ということでした。

インドは夜も暑いので、皆さんは汗をかかれます。その流れる汗のままでアンマの衣装に顔をうずめると、アンマの白いサリーが汗で汚れてしまうことになります。それを避けるために「ダルシャンの列に並んでいる人たちの顔をティッシュで拭いて浄める」という仕事でした。私はティルヴァンナーマライのダルシャン会場で新たなセヴァを与えられたことに感謝して、すぐに了承しました。そして、列に並ぶ人たち一人ひとりに「ナマシヴァヤ~」と挨拶しながら、顔拭きの仕事を1~2時間ほど続けました。めったにできないセヴァを楽しくさせて頂くことができて、有り難いことでした。

私が仕事をしている数メートル先では、アンマが抱擁のダルシャンを笑顔で続けておられます。その様子を見ながら、「アンマは一体何人分(何十万人分?)の仕事をこなしておられるのだろう?」と驚かざるを得ませんでした。

写真:アンマ in ティルヴァンナーマライ1 By Y.Kikutani(2020.01.26)555.jpg

 ♡ ♡ ♡

ダルシャンを求める人たちの列は途切れることなく延々と伸びているなかで、時間は刻々と経過し、朝の6時が近づいてきました。東の空が少しずつ、赤みを帯びてきています。

この時間は放射熱の関係で、気温が下がり、ショールなどを羽織っていないと、寒さを感じるほどに冷えてきました。私は、ダルシャンを終えた人たちがいなくなって、広々となっている会場を歩いて身体を温めながら、アンマの姿を見つめ続けました。

ダルシャンの列に並ぶ人の長さが50mほどになってきた時、私は「ようやくダルシャンが終わる時間が近づいてきているのかもしれない」と思いました。

しばらくすると、6時15分頃、アンマが着替えのためにステージを離れられました。「今、着替えられるということは、これからもまだ続くということだろうか? アンマはすべての状況を把握しておられるはずだから・・・」

10分後ぐらいに、アンマの着替えが終わり、再び純白の衣装でステージに戻られると、ダルシャンが再開されました。何気なくダルシャンを待つ人の列の方を見てみると、「わあ、列の長さがが延びている!」という驚きの状況になっていました。朝になって、夜には参加できなかった、制服を着た生徒や学生たちの姿が増えてきていたのです。彼らは登校する前に、アンマのダルシャンを受けるために集まってきていたのでした。アンマはそういうことも知っておられたのでしょう。

さらに大人たちの姿も増えてきました。仕事に行く前の人たちでしょうか。そうやって、ダルシャンの列は途切れることなく、なんと午前10時まで続きました。

ダルシャンは昨夜の午後10時半に始まったので、アンマはわずか10分ほどの着替えの時間を覗いて、11時間半の間、休むこともなく、1万人以上の人々を抱きしめ続けて下さったわけです。全く人間のレベルを軽く超えている「アンビリバボー」としか言いようのないダルシャンなのでした!

 ♡ ♡ ♡

ダルシャンを受けた人たちの大半は帰っていくので、会場に残っている人は少なくなっていきました。しかし、私は「アンマのダルシャン in ティルヴァンナーマライ」のために、1週間も前からティルヴァンナーマライに来て待っていたのですから、アンマと共に過ごせる時間をできるだけ大切にしたいと思っていました。それで、私はステージに近いところで、アンマのダルシャンの様子を眺めながら過ごしていました。

その時、ちょうど1年前に、ケララ州のカヌールで行なわれたダルシャンに参加した時、私の面倒を見て下さったスイス人の帰依者の女性が近づいてきました。私が「有り難うございます」と挨拶をすると、「今、ステージに上がりたいですか」と聞いてくださいました。「今、アンマの近くで過ごすことができますよ」と気遣って、親切に声をかけてくださったのでした。しかし、私はアンマの姿を正面からしっかりと見つめていたいと思っていたので、「さっきステージにいたので大丈夫です」答えて、正面から見つめ続けました。

私はアンマの「エンドレスな純粋な愛」の姿を正面から見つめながら、「感謝」と「感動」の渦の中にありました。
「ああ、アンマ(神様)の愛は、なんと深くて大きいのでしょう!」

その時、私はまだ自分にできていない「あること」を思い出しました。そして、急に「アンマ、私は〇〇をちゃんとするようにします」と言ったのでした。そして「もしかしたら、アンマが私の耳を引っ張って伝えようとしてくださったのは、このことだったのかもしれない」と思いました。

「それ」をすることは、私の人生において非常に大切なことだと思われるのですが、まだできていなかったのです。私はアンマのダルシャンの時を徹夜で過ごすなかで、「耳を引っ張られた」ことに対する「疑問」と「回答」が与えられたように思われたのでした。

「アンマのダルシャン in ティルヴァンナーマライ」は、これからの私にとって、なくてはならない神様からの「恩寵」と「祝福」の時と場になったように感じられました。

 ♡ ♡ ♡

最後に、アンマはバスの中からも、お見送りをする人たちに満面の笑顔で手を振ってお別れの挨拶をしてくださいました。

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アンマのこの満面の笑顔が、徹夜で、約12時間にわたって、1万人以上の人たちを抱きしめた人のものとはとても想像できません(信じられません)。このようなダルシャンは、他の誰にもまねできないのではないでしょうか? ですから、アンマには「神様の特別な力が流れている」としか言いようがないように思われるのです。

「心より感謝致します。アヴェ アンマ!」

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写真の一部はアンマのFBから使わせて頂きました。
その写真の著作権のすべてはアンマに属しています。
アンマのFBは以下のアドレスでご覧頂けます。
https://www.facebook.com/MataAmritanandamayi/


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23.「2020年1月27日(月)」
       「アンマのダルシャン in ティルヴァンナーマライ」(回想)

2020年1月26日(日)18:00~27日(月)10:00(合計16時間)

1月26日(日)午後6時に始まった「アンマのダルシャン」in「ティルヴァンナーマライ」は、一晩で、なんと「1万人以上」の方たちへのダルシャンが行なわれて、16時間が経過した、翌日の1月27日(月)午前10時に終わりを告げました。

ティルヴァンナーマライという特別な聖地で、合計16時間という 長時間にわたる「アンマのダルシャン」は本当に想像を超えたものであり、非常に感動的なプログラムでした。

この充実したプログラムが全くの「無料」で行なわれているというのには言葉もありません。何とすごいことでしょう! しかも、プラサードの「食事」などまでがすべて「無料」なのです!・・・

アンマの「無私の愛」、「無制限の愛」、「エンドレスの愛」には「驚き」という言葉しかありません。そんな「アンマの愛」に実際に触れることができたのは限りなく「幸せ」なことでした。

 ♡ ♡ ♡

この16時間の長時間のプログラムの間に、着替えなどをするためにアンマが舞台を離れられたのは、プログラムが始まってから12時間が経過した、午前6時15分ごろからで、それもわずか10分ほどのことでした。つまり、プログラムが始まってから12時間もの間、アンマは1度も舞台を離れられることはなかったのです。その間、休憩を取られることもなく、食事の時間を取られることもこともなく、ダルシャンに集まってきている1万人を超えるすべての人たちに愛を与え、抱擁しながら、共に過ごしてくださったのです。まさに「ありえない」といえるような「究極の愛」ですね!

 ♡ ♡ ♡

アンマのプログラムの前日の1月25日に、メジュゴリエのマリア様から伝えられた「マンスリー・メッセージ」には、次のようにありました。

かわいい子たちよ、家族の中に神聖さがなければなりません。

 なぜなら、愛と神聖さのない世界に未来はないからです。

 また、神聖さと喜びのなかで、あなたたちは計り知れない愛で皆さんを愛しておられる創造主である神様に自分自身を捧げることができるからです。

 それで、神様は私を皆さんのもとに遣わしてくださっているのです。
(2020.01.25)

「聖母マリア」が言われている「愛と神聖さ」を完全に、現実に、地上で表現してくださっているのが「聖母アンマ」であり、「計り知れない愛で、人類を愛しておられる神様が私たちのもとに聖母アンマを遣わしてくださっている」といえるように思われます。

「人間の肉体」の中にありながら、「普通の人間」を超えて「神様の愛」を表してくださっている聖母アンマは「超人」(人を超えた人)であり、「神様の愛」(神様意識)を体現してくださっている「生ける愛(神様)」なのでした。

それは言葉にできないほど、大変有り難いことであるといえます。

そして、このプログラムをボランティア(セヴァ)という大切な役割を通して学びながら、支えてくださっているたくさんの帰依者や支援者の方々にも心から感謝致します。

「誠に誠に有り難うございます。アヴェ アンマ! アヴェ 皆様!」


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24.「2020年1月28日(火)~30日(木)」
       「アンマのダルシャン in チェンナイ」

アンマは1月27日(月)午前10時まで、「ティルヴァンナーマライ」 で、ダルシャンをされた後、約200km 離れた「チェンナイ」に向けて移動されました。そして、翌日の1月28日(火)から30日(木)までの3日間に渡って、チェンナイでダルシャンを与えて下さいます。

私もチェンナイでのダルシャンに参加するため、1月29日(水)~31日の2泊3日の日程で、チェンナイに向かいました。

チェンナイは南インドでもかなりの大都市(人口700万人)ですから、「アンマのダルシャン会場や、宿泊するホテルを見つけるのに、どのくらいの時間がかかるのだろう?」と考えていました。ところが、大変有り難いことに、アンマの会場は、私が乗った長距離バスの行き先のバスセンターからそれほど遠くはなく、また安いホテルも会場から2km(オートリクシャで120ルピー:200円)程度のところに見つかって、すべてのものごとが想像以上にうまく進んだのでした。そして、ゆったりとアンマのダルシャンに浸ることができました。

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ダルシャンの最終日である1月30日(木)は、当然のことながら徹夜になります。私は、日付が変わった31日(金)になってから、アンマの抱擁を頂くことができました。

午前0時を過ぎた頃、「ツアーグループの皆さんへ」というメッセージが、大きなモニターに映し出されました。それは、アンマの南インドツアーに同行している帰依者(セヴァ)の方たちに対する「業務連絡」です。

 ♡ ♡ ♡

・午前6時~午前7時の間に、バッグなどの荷物を積み込んで下さい。
・午前7時45分、朝食のあとに出発します。

 ♡ ♡ ♡

つまり、まだダルシャンが続いており、たぶん朝方まで続くであろうと思われる中で、次の準備への指示が出されたというわけです。

・自分が乗るバスに、自分のバッグなどを、午前6時から7時の間に乗せて下さい。
・バスの出発時刻は、午前7時45分です。それまでに朝食をとってください。

アンマの「ツアーグループ」の皆さんは、朝方までダルシャンが続いた後、午前7時45分までに朝食を終えて、次の目的地である「コインバートル」に向けて出発するのです。チェンナイからコインバートルまで約400kmあり、約8時間の道のりです。

そして、翌日の2月1日(土)と2日(日)の2日間に、コインバートルでのダルシャンが行なわれます。何という「気力」と「体力」と「神力」なのでしょう! 「驚き」と「感謝」と「尊敬」の念が湧いてくるばかりです!

これが「アンマの愛の世界」であり、この「愛による特別なツアー」を「アンマを愛する多くの人たち」が支えているのでした。アンマの近くに行けば行くほど、想像を超えるような「アンマの愛」の世界を見て、触れることになります。

アンマはまさしく「生ける神の愛」の現れであり、アンマの意識はまさに 「キリスト意識」である、と言えるように思われます。

「ああ、神様、地上にアンマを送って下さり、誠に有り難うございます」
「ああ、アンマ、最も強い心と体をもっておられながら、最も素朴で謙虚であられるお方よ、あなたの存在と愛に心から感謝致します」
「有り難うございます。アヴェ アンマ!」

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写真はすべてアンマのFBから引用させて頂きました。
著作権のすべてはアンマに属しています。
アンマのFBは、以下のアドレスでご覧頂けます。
https://www.facebook.com/MataAmritanandamayi/


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25.「2020年1月31(金)」
       「アルナーチャラ山への挨拶」

「アンマのダルシャン in チェンナイ」が終わった1月31日(金)の午前中、私はチェンナイを発って、ティルヴァンナーマライに戻りました。

当初は、ティルヴァンナーマライに戻る予定ではなく、チェンナイから直接、プッタパルティに帰ろうと考えていたのですが、何となくティルヴァンナーマライに戻って、アルナーチャラ山(シヴァ神)に再度ご挨拶をして、そのもとで静かに過ごしたいと思ったのでした。

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ティルヴァンナーマライに帰り着くと、前に泊まっていたホテルを訪ねました。

「1日だけ泊めてほしい」とお願いすると、「1ヶ月でもずっと泊まればいい」と歓迎して頂き、身体を休めて、ゆっくりと過ごすことができました。

この日も、アルナーチャラ山は美しい姿を見せてくれていました。私はシヴァ神に心を向けて静かな時を過ごすことができました。

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ティルヴァンナーマライで眺めた 「上限の月」 です。
緯度の低い南インドでは、月は、ほぼ水平に欠けていくようです。

 
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26
.「2020年2月1日(土)」
       「アシュラムの門辺り」

写真:ラマナ・マハルシ:アシュラム近辺2 By Y.Kikutani(2020.01.26)555.jpg

写真:ラマナ・マハルシ:アシュラム近辺8 By Y.Kikutani(2020.01.26)555.jpg

写真:ラマナ・マハルシ:アシュラム近辺11 By Y.Kikutani(2020.01.26)555.jpg

写真:ラマナ・マハルシ:牛の親子 By Y.Kikutani(2020.01.19.) 555.jpg
    一般路上での牛の乳搾り


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27.「2020年2月2日(日)」
       「プッタパルティに帰る」

この日、ティルヴァンナーマライに別れを告げて、長距離バスで「プッタパルティ」に帰りました。
バスの内装は上等で、乗客も混んでいなかったので、快適なバスの旅となりました。

写真:ティルヴァンナーマライ:バスセンター By Y.Kikutani(2020.02.02)555.jpg

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夕方、プッタパルティに着くと、ホテルに荷物を置いて、チベタンショップにお礼の挨拶に伺いました。ご主人はいつもの笑顔で迎えてくださいました。

お世話になったお礼を言って、「今度はアムリタプリに行くので、その間もスーツケースを預かってもらえませんか?」とお願いすると、「もちろんOKです」ということです。本当に信頼できて心優しいご主人とのご縁に感謝するばかりでした。

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とり急ぎ、帰着のご報告をして、お礼を言い、また新たなお願いをすることもできたので、夕食を頂くために、近くのモモ屋さんに向かいました。「モモ」はチベットの蒸し餃子ですが、このお店のモモはベジタリアン専門で、野菜系の具しか入っていないので、おいしくて健康的なのです。

「蒸し餃子」と「揚げ餃子」の2種類があって、その日の気分で選べるのも有り難いです。熱いチャイ(ティー)と一緒に頂くのが定番です。

写真:ティルヴァンナーマライ:インド風餃子1 By Y.Kikutani(2020.02.02)555.jpg
    チベタン・ベジタリアン・モモ
 
写真:ティルヴァンナーマライ:インド風餃子2 By Y.Kikutani(2020.02.02)555.jpg
     ベジタリアン・揚げモモ

写真:ティルヴァンナーマライ:チャイ By Y.Kikutani(2020.02.02)555.jpg
       インド風チャイ

「誠においしゅうございました。有り難うございます」


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28.「2020年2月3日(月)」
       「神様からの祝福を頂く」

翌日、改めてゆっくりとチベタンショップに伺いました。話をしていると、明日、近くの小さな寺院で「ナヴァグラハ・ホーマとプージャ」が行なわれるという話題が出てきました。中央アジアの国であるタジキスタンのグループが依頼主で、儀式を執り行うプージャリ(僧侶)は優秀でパワフルな良い人物で、彼の友達であるとのこと。

そして、ご主人は「このホーマは私が依頼されて手配しました。ですから、あなたも参加すれば良いです。そして、あなたは何も支払う必要はありません。私がすべてを手配しているので大丈夫です」と続けました。

「え、明日、ホーマに、無料で・・・大変有り難うございます」ということで、「九星の中で、悪い星
からの影響を防ぎ、良い星の影響を強めて、開運を導き、障害を除去するための儀式」に急きょ参加することができるようになったのでした。何となく、アルナーチャラのシヴァ神様やアンマ様、ラマナ様方から送られてきた祝福のように感じられました。

「有り難うございます。神様!」

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29.「2020年2月4日(火)」
       「ナヴァグラハ・ホーマとプージャ」

前日、ご主人に言われていたとおり、午前9時頃に店に行くと、オートリクシャが来て、それに乗って、プッタパルティの郊外にある丘の上の小さな寺院に向かいました。

すでに儀式の準備はできており、7~8人の人たちが「ホーマ用の炉」(護摩壇)の所に集まっていました。
そして、9時半頃に儀式は始められました。

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「ナヴァグラハ・ホーマとプージャ」の儀式は無事に終わりました。
いよいよ明日は、アンマのアムリタプリに向けて旅立つことになります。
何となく、旅立つ前の「浄めの儀式」を終えたようにも感じられました。

「有り難うございます。神様!」


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30
.「2020年2月5日(水)」
       「アンマの南インドダルシャンツアー終了」

1月23日(木)に「マドライ」から始まったアンマの「南インド・ダルシャンツアー」も、本日2月5日の「コジコート」でのダルシャンが最後となります。

・January 23-24:Madurai
・January 26 :Tiruvannamalai
・January 28-30: Chennai
・February 1-2 :Coimbatore
・February 4-5:Kozhikode

そして、明日の2月6日(木)に、アンマはツアーグループの皆さんと共に、アムリタプリのアシュラムに向けて、移動されるものと思われます。

私は「アシュラムに先に着いて、アンマを迎えられると良いなあ」と思い、今日5日にプッタパルティを発って、6日の午前中に、アンマのアシュラムに着くようにバスで移動することにしました。

これからアンマのアシュラムで一体何が待っているのでしょう? 大変楽しみです。


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31.「2020年2月6日(木)」① 
       「アンマのアシュラムに到着

前日の夜に、バンガロールのバスセンターを発車して、午前8時半頃に、アムリタプリに近いカルナガッパリ(Karunagappalli)に着きました。

写真:アムリタプリ行きバス By Y.Kikutani(2020.02.05)555.jpg

「スリーパー(寝台)バス」で移動中に、私の上の段(ベッド)の乗客も同じくカルナガッパリで下りるということが分かり、安心して眠ることができました。インドには「寝台列車」だけでなく、長距離を走る「寝台バス」もあるのです。ベッドは広々としていて、完全に横になれるので、とても快適でした。

私には、たくさんあるバスの便からこのバスを選ぶことができ、また同じ目的地の乗客がいたこともアンマからのお導き(恩寵)であるように思われ、大変有り難く感じられました。

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アンマのアシュラムには午前9時頃に着きました。
写真:アムリタプリ:マンション By Y.Kikutani(2020.02.06)555.jpg

そして、すぐに受付用のオフィスに行きました。すると、アンマは5日にコジコードでのダルシャンが終わった後、さらに南のトリバンドラムに行ってダルシャンをされることになり、9日(日)にアシュラムに戻ってこられるということでした。

アンマがおられない時の静かな雰囲気のアシュラムも体験することができて、それはそれで有り難く感じられると共に、アンマをお迎えするために心身を整える良い時間を頂くことができて良かったと思いました。


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32.「2020年2月6日(木)」② 
       「アシュラムで事件発生!」

午前中に無事にアシュラムに着き、2段ベッドがある2人用の部屋(111号室)を一人で使うように与えて頂きました。(また111という数字が現れてきました。)この部屋は、私にとって、非常に過ごしやすい場所と造りであり、キッチンとデスクもあるなど、大変有り難いものでした。

写真:アムリタプリ:111の部屋 By Y.Kikutani(2024.02.14)555.jpg

建物はアラビア海の海岸から歩いて1分ほどのところにある好立地で、2階の東側の角部屋です。ですから、朝には朝陽が入ってきて、気持ちよく過ごすことができます。

日中は、部屋の中も33℃くらいになり(直射日光のもとでは35℃を超えているでしょう)、夜も28℃くらいありますが、湿度が50%前後なので、ファンを回して風があれば、それほど大変ではありません。

ただし、1日に数回水をかぶって、身体を冷やすようにします。今はインドも冬の季節ですが、冬でこうだと夏はかなり大変かもしれません。

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さて、思いもよらない、人生で初めての、ありえないような「事件」が、アシュラムに「着いたその日の夕方」に発生しました。

部屋を出て、南京錠の鍵を閉めると、楽に開くかどうか確かめるために、念のため、キーを回して開けようとしました。すると、キーは回らず、南京錠は閉まったままで、ぴくりとも動きません。何回試してもダメです。そして、いつのまにか、キーもゆがんできました。

「わお~、だめだこりゃ!」。私は部屋から 「ロックアウト」(閉め出)されてしまったのでした。しかし、ここはアンマのアシュラムです。「問題」も「焦り」もありません。すべての出来事には「意味」があって、「解決の方法」もあるはずです。

私は何か解決策がないかと考えながら集中しました。すると、午後8時45分から9時15分の30分間、「インターナショナルオフィス」が開くことを思い出しました。「これだ~!」と、すぐに解決策を見つけることができたのでした。

その時間に窓口に行って、事情を話すと、「分かりました。『テンポラリールーム』(臨時の部屋)に行って休んで下さい。そして、明日、ハウスキーピングに相談して下さい」ということで、一瞬で事件は解決したのでした。

教えられた建物の3階に行くと、真正面に「カーリーテンプル」が見えました。その臨時の部屋は4人部屋でしたが、私一人で使うことができ、シーツなどもあって、何の問題もなく静かに休むことができました。

当然のことながら、この静かな部屋の中で「なぜ私はここに来ることになったのだろう?」と考えることになりました。すると、答えがすぐに思い浮かんできました。それは「絶対に忘れてはならない」とても大切なことでした。


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33.「2020年2月7日(金)」① 
       「カラリ(聖堂)へのお導き」

朝、5時頃に目が覚めると、すぐに「カラリ」(聖堂)に行きました。「カラリ」は「カーリーテンプル」のすぐ横にあり、そこでは、毎朝5時から「ホーマとプージャ」の荘重な儀式が行なわれています。

部屋の鍵が壊れて開かなくなり、行くように言われた部屋が「カーリーテンプル」の「真正面」にあった時、私は早朝に、カラリで行われる「儀式」に参加するように招かれたと感じたのでした。

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6年前に初めて、アンマのアシュラムに何もわからないまま訪れた時、カラリで瞑想していると、ここで務めておられる「プージャリ」のスワミジが「カラリで働くように」と招いてくださいました。その時から、私はこのアシュラムで最も大切なカラリ(聖堂)で、ホーマやプージャの儀式の準備や片付け、掃除などをして過ごすことになったのでした。

そのような経緯があったので、今回もそのような流れのなかで、カラリで過ごすように導かれたのだと感じられました。そして、この日から毎日、カラリに通い、以前と同じように、カラリで聖具の片付けや清掃などのセヴァ(奉仕作業)をしたり、瞑想室で瞑想することになったのでした。

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カラリでの仕事を終えた後、ハウスキーピングのセヴァをしておられる方に相談すると、すぐに部屋に来て下さり、大きなカッターで、南京錠を切断して、無事、部屋に入れるようになりました。

アシュラムに着いてすぐに南京錠が壊れて部屋に入れなくなる、というありえないような出来事も、大変有り難い「お導き」であり、何の問題もなかったのでした。というよりも、大きな意味があったのでした。

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実は、このような出来事が起きたのには「普通ではない」理由がありました。

私は、部屋が決まった時、アシュラムの管理担当の方から、確認済みの、別の南京錠を渡されていました。しかし、部屋に入ると、棚の上に、もう一つ南京錠が置いてあったのです。普通であれば、渡された南京錠を使って、何の問題も起きなかったはずなのですが、どういうわけか、私は渡された南京錠ではなく、部屋に置いてあった南京錠を使ってしまったのです。

「なぜあの壊れた南京錠が部屋に置かれていたのか」、また「なぜあの壊れた南京錠を使ったのか」よく分かりません。しかし、結果的に事件が起きて、カラリに行くことになって、「ホーマ&プージャ」の儀式に参加して、その後、カラリに毎日通って、カラリでの仕事をしたり、瞑想したりすることになってすべてがうまくいき、めでたしめでたしなのでした。

つまり、アンマのアシュラムに着いて早々に起きた思いもよらない事件は「アシュラムで最も大切なカラリ(聖堂)で過ごすようにアンマから導かれた」と言えるものでした。

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「アンマの祈り」に、次のような祈りがあります。

「何が起きても
    私は幸せでいます。
    私は強くあります。
   神様はいつも私と共にいて下さいます」

まさに、この祈りの通りであり、お陰様なのでした。

実際には、いつもこのような心境でいるのはとても難しいと思われますが、トレーニングしていかなければならないと思われます。

「有り難うございます。アヴェ アンマ!」


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34.「2020年2月7日(金)」② 
       「ティルバンナーマリの恩寵」

私が入室している111号室がある建物は、部屋の「居住権」を購入して住んでおられる帰依者たちのためのものでした。その住人の方と話をした時、私がティルヴァンナーマライに行って、ダルシャンを受けたことを伝えると、有り難い情報を教えて下さいました。

この方との出会いもアンマの恩寵であり、ティルバンナーマリで起きた出来事の意味を私に教えるために仕組んでくださったことのように思われました。

 ♡ ♡ ♡

1.アンマがティルヴァンナーマライに行かれたのは35年ぶりで、2回目のことでした。そして、再び行かれることはないように思われます。ですから、ティルバンナーマリでアンマのダルシャンを受けられるのは、今回が最後のチャンスだったといえるかもしれません。そのような貴重な機会に、ティルヴァンナーマライで、ダルシャンを受けられたのは大変幸運なことだと思われます。

2.整理券(トークン)を求めて並ばなくても手に入ったのは素晴らしいお導きでした。

3.そして、ダルシャンの時に、アンマが日本語で「ありがとう」とおっしゃってくださったのも特別で、素晴らしいことだと思います。

4.アンマから「耳を引っ張られた」のは、「愛しい子よ」ということを表されるアンマの「最高の愛情表現」です。

5.ティルヴァンナーマライでは、アンマの帰依者のセヴァ(スタッフ)の人たちは、来場者が多いため、アンマのダルシャンを受けられないことになっていました。そのかわりに、セヴァの人たちは皆が「プラサードセヴァ」をして、アンマの近くに行けるようにされたのです。それでスタッフの人たちが優先されたのですが、そこに「プールナ・スワミジ」が現れてきてくださって、プラサードセヴァができるようになったのはアンマのお導きであり、恩寵だと思われます。

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何から何まですべてのものごとが、アンマの「愛」と「恩寵」と「お計らい」によって進められていたのでした。

「アンマ様。誠に誠に有り難うございます。心より御礼申し上げます」


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35.「2020年2月8日(土)」① 
       「カーリー神殿と砂紋の庭」

この日も朝に、カラリ(聖所・寺院)で掃除などのセヴァをさせて頂き、瞑想もさせて頂きました。

そして、この日の夜に、私は特別な作業をする計画を持っていました。

カーリー神殿を囲んでいる庭を、日本から持参した「熊手」の箒で掃いて、浄めるという作業をしたいと思っていました。

アムリタプリで、熊手がすぐに手に入らないといけないと思い、「分解して、スーツケースに入るサイズの物」を購入して、持参してきていました。
(つなぐと、幅は40cm、長さは160cmぐらいになります。)

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アンマのアシュラムは海のすぐ近くにあるので「砂」が積もってきます。その砂を掃いて、日本の寺院の庭園のように、きれいな「砂紋」をつくりたいと思ったのです。きれいな庭にして、アンマをお迎えできたらさらに幸いであると思いました。

アシュラムの皆さんが眠りにつかれた夜の間に、皆さんの邪魔にならないように、ひっそりと仕事をするつもりです。

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アシュラム内にある大ホールで、午後8時から夕食を頂くと、部屋に戻り、夜の仕事に備えて、少し休みました。

午後10時半を過ぎた頃、私は「熊手」を右手に、「ちり取り」を左手に持って部屋を出ました。

アシュラムの数カ所には、警察の検問があります。アンマは単なる 「霊的指導者」ではなく、インドを代表する「国家的に超重要なVIP」であり、アンマもアシュラムも警察の警護を受けているのです。

真夜中に熊手を持って歩いていることをとがめられることはないだろうか、などと思いましたが、ごく普通の掃除するおじさんに見えているようで、特に問題ありませんでした。

カーリーテンプルに向かって歩いていると、夜空に「まん丸いお月さま」が美しく輝いています。「ああ、そろそろ満月なんだあ」と思いながら、しばしの間、見とれて、足を止めて、見上げていました。「ティルヴァンナーマライ」にいた頃は「上弦の月」でしたから、あれから1~2週間ほど経過したのがわかりました。

写真:アムリタプリ:満月1 By Y.Kikutani(2020.02.09)555.jpg

確認すると、日本では2月9日(日)の午後5時が満月です。
ですから、明日の「満月の日」に、アンマはアシュラムに帰ってこられることになります。

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午後10時50分ごろから、ちょうど1時間ほどかけて、「カーリーテンプル」(カーリー女神様の寺院)の周りにある庭のすべてを掃いて「砂紋」をつけました。

その時、ふと思いました。「カーリーテンプルの庭を掃き清める人たちのグループ名をつけよう」と。そして、すぐに決まりました。「カーリーテンプルの庭を掃き清め隊」。現在、隊員は1名ですが、さらに隊員を募集するかどうかは、これから検討したいと思います。

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11時50分頃、庭を照らしているライトの光に浮かび上がる、それなりに美しい「砂紋」に満足して、作業を終えました。そして、部屋にもどると、水を浴びて、汗を流しました。

 ♡ ♡ ♡

アンマのアシュラムは「霊的な世界」の「ディズニーランド」のように感じられます。

世界各地につくられている「ディズニーランド」は「空想の世界」ですが、「アンマのアシュラム」は本物の「女神様」がおられる「現実の世界」です。地球に生まれてきたら、「アンマの不思議の世界」を一度体験してみないと、「本当にもったいない」ように思われます。

地球で「輪廻」を繰り返している私たちは、「真理の世界」よりも「妄想の世界」の方が楽しく感じられ、遊んでいるうちに時間切れとなり、再び次の地上での人生に移っていく(転生する)ことを続けているようです。

大切な人生を、自分勝手な「エゴ」と欲望に満ちた「妄想」で終わらせてしまうことがないように、十分に気をつけていきたいと思いますが・・・。なかなか難しいですね!


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36.「2020年2月8日(土)」② 
       「白い羽根」と「エンジェル・メッセージ」

実は、「砂紋」の仕事を始める前に、素敵な出来事が起きていました。

「カーリーテンプル」の庭に近づいた時、真っ黒な空から「白いもの」がふわりふわりと落ちてきたのです。思わず手を差し伸べると、「手のひら」にぴたりと乗ってきました。それは「白い羽根」でした。

写真:アンマの白い羽根:神様の秘密 369.jpg

風に吹き飛ばされることもなく、真っ暗な空から、私のもとにす~っとまっすぐに下りて来たのです。

アンマのアシュラムの神殿の庭で降ってきた「白い羽根」のメッセージとは一体何なのでしょう? 何となく意味のあることのように思われます。
白い羽根の「エンジェル・メッセージ」とは?・・・

 ♡ ♡ ♡

「あなたの周りには天使がいて、癒やし、導いているので何も心配する必要はありません」
「あなたの人生は良い方向に向かっています」
「運気が上昇し始めているので、自分の気持ちや考えを信じて、勇気と信念をもって進み続けてください」

ちょっと嬉しい「エンジェル・メッセージ」でした。

「アンマ様、白い羽根の
天使様、有り難うございます!」


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37.「2020年2月9日(日)」
       「アンマからのお導きと恩寵」

今日、アンマのアシュラムの「インターナショナル・オフィス」に連絡事項が貼り出されました。その要点は次のようなものです。

 ♡ ♡ ♡

「コロナウイルス」

本日より「ケララ州政府」からの通知により、「中国」、「タイ」、「日本」、「韓国」、「台湾」、「シンガポール」、「マレーシア」、「香港」、「マカオ」に、過去4週間の間に滞在していた人は、アンマのアシュラムを訪問したり、滞在することができません。

ご不便をおかけして大変申し訳ありませんが、私たちは国家の安全の名の下に、指示に従う必要があります。

 ♡ ♡ ♡

日本も「コロナウイルス」に感染している国として、世界的に認定されたようです。そのため、2月9日(日)から、日本人のアシュラム訪問は断られることになりました。

私は3日前の2月6日(木)に訪問し、滞在し始めましたから、ぎりぎりで「セーフ」でした。もしかしたら、私は2020年の2月9日にアシュラムが閉じられる前に、アシュラムに入って滞在することができた「最後の日本人」だったかもしれません。

アンマの最後の訪問地である「トリバンドラム」でのダルシャンの日程が早く公表されていて、「アンマがアシュラムに戻って来られてから、アシュラムに行こう」などと、のんびり考えていたら、アシュラムに入ることができず、完全に「アウト」になっているところでした。

また、インド滞在のスケジュールも、「1月11日」に日本を発って「2月22日」に帰国することにしていましたが、この計画全体を遅くしていたら、アンマのアシュラムに入ることはできなくなっていたように思われます。

私は、ぎりぎりのタイミングでアンマのアシュラムを訪れて、「するべきことをする」ように計られていた(動かされていた)ように感じられました。

 ♡ ♡ ♡

「インドに行って、アンマのアシュラムを訪れる」という計画(イメージ) は、昨年の12月中旬に、突然降りてきました。

私は12月5日に、東欧のメジュゴリエから帰国したばかりでしたから、「え? 次はインドですか? しかも、今?」とかなり戸惑いましたが、見えない世界の計画ではこのタイミングで私が南インドに行くことが重要であり、タイムリミットであったように思われます。

今、私の周りで起きているすべての物事が、神様(アンマ様・マリア様・イエス様)からの「恩寵」と「お導き」によって起きているように感じられるのでした。


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38.「2020年2月10日(月)」
       「アンマの特別ダルシャン」

アンマは、予定どおり、昨日(2月9日)の午後3時頃に、アシュラムに戻ってこられたそうです。

そして、今日(2月10日)、通常のスケジュールにはない「特別のダルシャン」をしてくださいました。「アンマがいない時にアシュラムに来た人」と「次のダルシャンがある前にアシュラムを離れる人」を対象とするものです。

 ♡ ♡ ♡

12時半頃、カーリー寺院の近くを歩いていると、寺院の方からアンマのバジャンの歌声が聞こえてきました。「アンマが歌っておられるのだろうか?」と不思議に思って、寺院に入っていくと、なんと「ダルシャン」が行なわれていました。

「お~! 特別ダルシャンだ!」。私は整理券を頂いて、列に並びました。特定の人だけに行なわれるダルシャンなので、並んでいる人の数は多くはなく、のんびりとした雰囲気のなかで、アンマはゆっくりと抱擁してくださっていました。

列に並んで、少しずつアンマに近づいていくなかで、私は「いよいよ始まる」という思いが強く湧いてくるのを感じました。

そして、アンマのダルシャンを受ける時、アンマに抱擁されながら、心の中でアンマにゆっくりとお話ししました。

アンマはいつものように、「愛しい子よ、愛しい子よ、愛しい子よ・・・」と語りかけてくださいました。

 ♡ ♡ ♡

「いよいよ意識を集中していかなければならない時」であるように思われます。
「アンマの存在とダルシャンには『表』には見えない大切な意味が隠されている」とつくづく感じさせられます。

特別ダルシャンは午後3時頃に終わりました。

「アンマ、誠に有り難うございます!」


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 39.「2020年2月11日(火)」
        「カラリ(聖堂)」と「瞑想」

2月6日(木)に、今回のアシュラム生活においても「カラリ」(聖堂)に導かれたことを書きました。

この「カラリ」(聖堂)は、なぜそれほど大切な場所なのでしょう? 
それは、アンマがまだ20才代前半の若い頃、訪れて来る人々に「ダルシャン」(愛の抱擁)を与えられたり、「バジャン」(神に捧げる賛歌)を帰依者の人たちと一緒に歌われたり、「導きの説話」などをされたのが、この「カラリ」だったからです。

アンマは貧しい漁村で生まれ育たれた若い女性であったにも関わらず、自然な流れ(神様の摂理)によって、「聖なる導き」の生活を始められたのですが、その当時、カラリは「茅葺きの小屋」であり、それはアンマが誕生された家のすぐ横に建てられていました。

この「カラリ」で、アンマは「人類救済の仕事を始める」という「宣言」をされたのです。その時、手に持っておられた「剣」と「三叉の矛」が、今もカラリに飾られています。ですから、カラリはアンマのアシュラムを象徴する、非常に大切な聖堂なのです。

そして、ここでは毎日、朝の5時から夕方6時頃までの間に、「ホーマ」や「プージャ」などの「聖なる儀式」が数回にわたって執り行なわれています。

 ♡ ♡ ♡

後で紹介しますが、ここで行なわれている「運命改善」や「運気好転」などのための「ホーマ」や「プージャ」などの「祈とう」の儀式はものすごいエネルギー(神々の力)に満ちた素晴らしいものであり、世界中から多くの方々が申し込みをされています。

日本からも「アンマのHP」を通して申し込むことができます。(後で連絡先をご紹介します。)

私たちは毎日、この「ホーマとプージャ」の儀式に無料で参加させて頂くことができるのですが、私は現地で申し込んで、「心願成就」のために「ホーマ」をして頂く予定です。現地で参加すると、「プラサード」と呼ばれる「おみやげ」を頂いたり、「浄めの聖水」をかけて頂いたりする「特典」もあります。

 ♡ ♡ ♡

私が6年前に、初めてアンマのアシュラムを訪れた時、カラリは既に鉄筋コンクリートの建物になっていました。しかし、それを覆っている施設はなく、雨が降ると、敷地の一部に水がたまるので、それをくみ出すのも、私たちの仕事の一つでした。

カラリの横にある「アンマが誕生された家」は、ホーマやプージャなどの儀式の「準備」をするための施設として使われていました。そのため、この家には、基本的に、聖職者や儀式の準備をする人たちしか入れないようになっていました。

ところが、今回、カラリを訪れると、様子が全く変わっていました。「カラリ」と「アンマが誕生された家」を覆う、大きな屋根がつくられており、さらにアンマの家は「瞑想室」に改造されていて、誰もが自由に入って瞑想できる「聖なる家」になっていたのでした。したがって、「カラリで祈り」、「アンマの家で瞑想する」という「祈りと瞑想」ができる「聖なる空間」が出来上がっていたのでした。

これほどの有り難い「聖地」は、地球上においてそれほど多くはない、といえるかもしれません。すべてはアンマの「愛と恩寵」によってもたらされた(与えて頂いた)聖地といえるでしょう。

「アンマ! 誠に有り難うございます!」

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私は、アンマのアシュラムに着いた日に、入室したばかりの部屋から閉め出される、という普通ではない出来事によって、再び「カラリと瞑想室」に通う流れになりました。日本でいつもアンマに捧げている祈りを、「アンマの瞑想室」で、アンマの大きな写真を見ながら捧げることができるというのは大変有り難いことです。

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アンマは、私たち人類が『自分の本性を思い出す』ためには「祈り」(マントラ)や「瞑想」をすることが非常に重要であると、強く勧めておられます。

地上における最高意識をもっておられる「聖母アンマ」が勧めて下さっているので、「無明の闇」の中にある私たちは、アンマからもたらされている「光」と「導き」と「助言」に素直に従って、祈り、瞑想を深めていきたいと思います。

アンマは、私たちに「愛の心」をもって助言を与えて下さいますが、「強制」されることはありません。

アンマは、私たちが正しく生きるように指導するために「叱る」ことがありますが、「怒る」ことはありません。

アンマには一切の「悪意」も不要な「感情」もなく、「愛」がすべての「動機」だからです。ですから、アンマは強く叱った後でも、暖かい微笑みをたたえておられます。

それは、アンマのすべての行為が「自分のため」ではなく「相手のため」にあるからです。

というより、「自分」も「相手」という区別もなく、アンマにとってはすべてが「一つ」であり、すべてが「自分」であり、すべての存在が「家族」なのです。

そのような「根本原理」を自らの生き方で「自然に」表現されておられる方は、地上においてはなかなか見られないでしょう。

それで、世界中から、老若男女のたくさんの人々がアンマのもとを訪れて、祝福とお導きを求めているのです。

アンマを地上に送って下さった神様に、心からの感謝を捧げたいと思います。

アンマは「地上に生まれて来るすべての魂が救われるまで、私は何回でも生まれて来ます」とおっしゃっています。

完全
な「愛であるアンマ」に、心からの感謝を捧げます。

「アンマ、誠に有り難うございます」


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40.「2020年2月11日(火)」② 
       「アシュラムのスケジュール」

アンマは 「2月9日(日)」の午後に、アムリタプリのアシュラムに帰ってこられました。
そして、翌日の「2月10日(月)」に、通常のスケジュールにはない「特別のダルシャン」を与えて下さいました。
その翌日の「2月11日(火)」には、通常のプログラムに戻りました。

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アシュラムにおける通常の「プログラム」は、次のようなものです。

(月)アンマと一緒の瞑想 (17:00~)
       アンマとのバジャン (18:30~)

(火)アンマと一緒の瞑想 (11:00~)
   サットサング (アンマの講話・質疑応答など)
   プラサード・ランチ (アンマと共に頂く昼食)

(水)公式ダルシャン (11:00~)

(木)公式ダルシャン (11:00~)

(金)アンマと一緒の瞑想 (17:00~)
   アンマとのバジャン (18:30~)

(土)公式ダルシャン (11:00~)

(日)公式ダルシャン (11:00~)

アンマが毎日、これほど長時間にわたって、私たちと触れあってくださり、導いてくださるというのは、本当に貴重であり、大変有り難いことです。

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2月11日(火)にアンマと共に過ごすことができるプログラムは、午前11時から始まる「瞑想」の時間でした。

私は、当日、午前9時から始まる「ホーマ&プージャ」に参加しており、それが10時半頃に終わると、聖具の片付けや洗浄を始めました。いつもは2~3人の人がいて分担しながら作業をするのですが、どういうわけか、この日はいつの間にか私以外の人がいなくなって、私一人になっていました。

「今日はアンマの帰りを待っていた人たちにとって、久しぶりにアンマと一緒にできる瞑想の時間なんだ・・・」

他の人たちは皆、アンマとの瞑想が行なわれる大ホールに行っているのでしょう。なんとなく私が一人でいることの意味が分かってきました。

「そういうことであれば、残された私一人でお片付けをしましょう」ということで、淡々と作業を続けました。

11時になると、アシュラム内に設置されているスピーカーから、アンマが話される声が聞こえてきました。瞑想の時間が始まったのです。私はその遠くから聞こえてくるアンマの声を聞きながら、聖具を洗ったり、拭いたりする作業を続けました。

作業を終えて会場の大ホールに入ったのは11:45分頃で、アンマへの「質疑応答」の時間になっており、アンマの貴重なお話を伺うことができました。

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アンマは、私たちにとって「愛と他者への奉仕」が、自己の「魂」に戻っていくための「扉」を開くための「鍵」である、と言われています。

エゴとしての「自分」を「愛と奉仕」を通して消し去っていく時に、「真の自己の魂」(真我)が現れてくるということです。

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「ホーマ」の儀式においては「聖なる炉」を花で飾り、祈りが込められた「聖なる水」を振りまき、ギーの油や「九星」を表す木など様々なものを、火が燃え盛っている「聖なる炉」の中に投げ入れていきます。

それはすべてのものの「生みの親」(創造主)である神様を賛美すると共に、あらゆるものを神様に捧げる(お返しする)という意味が込められていると思われます。

実は、『聖なる炉』で表されている『神様』の中に投げ入れられるものの中に『私』というものが含まれています。

不要なエゴである『私』を火の中に投げ入れ、燃やし尽くしていくことによって、私たちは『すべての生みの親』である『神様』のもとに帰り、一つになっていくことができる、ということです。

「ホーマ」や「プージャ」は単に自分の願望成就や欲望を満たすための「エゴの儀式」ではなく、心を神様に向けて、神様を賛美し、神様に祈り、神様に自分を捧げて、神様に近づいていくための「聖なる儀式」である、といえるように思われます。

それで、アンマは「ホーマ」や「プージャ」などの儀式を通して、私たちの人生のあり方を「修正」していくことを勧めておられます。

この道を通って進んでいく「究極の目的」、つまり「最終目標」は、「自己の本性(真我)」を思い出し、それにふさわしい「生き方」をするようになる、ということであるといえるように思います。

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アンマはこれまで約40年にわたって、世界中で「ダルシャン」(愛の抱擁)を与えて下さり、延べ約4000万人以上(!)もの人々に愛を注ぎ続けて下さっています。

それは、アンマの「母の愛」を通して、私たちが神様に帰って行くための「聖なるお導き」であるといえるでしょう。

アンマの「愛」と「恩寵」と「導き」は「空」のように広く、「海」のように深く、「神様」のように偉大です。

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アンマは「1991年」から毎年「日本」に来られて、ダルシャンを与えて下さっています。

「2020年」の今年も来日して下さるとしたら、「来日30周年」であり、「第30回目のダルシャン」という、大変記念すべき年になります。

例年だと、5月か7月頃に来て下さいますが、今年は「コロナウイルス」の問題などがありますから、いつもとは条件が異なっているかもしれません。もうしばらくしたら、どのような形になるのか公表されるものと思われます。

アンマの「日本ツアー」については「日本アシュラム」からお知らせがありますから、確認して頂けたらと思います。

「アムリタハート便り」:https://ammanpo.blogspot.com/

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先日、チリからアシュラムに来て、6カ月間も滞在している若い女性と話している時、アンマが南米に行かれたのは1回だけだと教えてもらいました。(北米とヨーロッパには、毎年行かれています。)

「アジア」 でアンマが訪れられるのは、日本以外では「スリランカ」と「シンガポール」であるとも聞いています。

以前、「日本」でのダルシャン会場に「台湾」や「中国」、「韓国」などから、アンマに会うために来られていました。それらの国々においては、アンマに会うことができないのです。ですから、アンマが「日本」という国を大切にして下さっているということがよく分かります。

アンマの有り難い「愛の御心」に応えられるように、日本での貴重な機会を生かしていきたいと思います。

「有り難うございます。聖母アンマ!」


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41.「2020年2月12日(水)」
       「アンマのダルシャンの日」

2月12日(水)は、アンマが南インド・ツアーから帰られてから、初めて行なわれる「公式ダルシャン」の日です。大ホールは、久しぶりにアンマと会える(ダルシャンを受けられる)人たちの喜びで満たされていました。

「公式ダルシャン」は「水曜日」と「木曜日」の二日連続してあり、「金曜日」の「アンマとの瞑想」の日を挟んで、「土曜日」と「日曜日」 の二日続けて行なわれます。

アンマのアシュラムに滞在している人たちは「水」と「木」のどちらか、また「土」と「日」のどちらかの日にダルシャンを受けることができます。つまり、一週間に2回、ダルシャンを受けられるわけです。

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私は今日(12日)ではなく、明日の13日(木)にダルシャンを受けることにしました。「2月13日」を選んだのには理由があります。「13日」は「ファティマのマリア様」が出現された記念日であり、さらに「2月13日」は、ファティマでマリア様を幻視した女性である「ルシアさん」の「ご命日」だからです。

カルメル会の修道女になられた「シスター・ルシア」は、今からちょうど15年前の「2005年2月13日」に、97才で亡くなられました。(そして、それからわずか1ヶ月半後の2005年4月2日に、当時の教皇であったヨハネ・パウロⅡ世も84才で亡くなられました。)

この「マリア様のご出現」に関わる大切な日である「2月13日」に、アンマのダルシャンを頂いて、その際、マリア様のお導きのもとで、私が準備を進めている「神様のプロジェクト」についてアンマにご報告をし、祝福を頂きたいと考えたのでした。

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それで、2月12日(水)にはアンマに心を向けて、翌日の13日にダルシャンを受ける時にアンマにお渡しする「手紙」を書くことにしました。1月11日に始まった「南インドの聖地巡礼」の最後を飾る「アンマのダルシャン」において差し出す手紙となります。

ああ、どういうことになるのでしょう? すべてをご存じである「アンマの御心」が行なわれますように。

「有り難うございます。アヴェ アンマ!」


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42.「2020年2月13日(木)」
       「アンマのダルシャンの日(当日)」

私は1月26日(日)に、「ティルヴァンナーマライ」で、今年最初のアンマのダルシャンを頂きました。その後、「チェンナイ」までアンマを追いかけて行き、チェンナイでもダルシャンを頂きました。そして、アンマがアムリタプリのアシュラムに帰ってこられてから初めて行なわれた2月10日(月)の「特別ダルシャン」でも、「カーリーテンプル」で抱擁して頂きました。

これまでいろいろな場所や形で、アンマからのダルシャンを頂いてきましたが、2月13日の「ファティマのマリア様」の日に頂くダルシャンには、特別な意味がありました。アンマに「神様のプロジェクト」の「企画書」と「シナリオ」などを捧げて、祝福して頂くという、重要な「儀式」があるからです。

したがって、この日のダルシャンは、今回のインド巡礼の「クライマックス」とも言えるようなものでした。

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いつものように、朝の5時からカラリで行なわれる「ホーマ&プージャ」に参列した後、片付人としてのお務めをしました。

そして、その後、アンマに意識を向けながら一日を過ごして、午後9時頃に、ダルシャンの列に並びました。この日も数千人の人がダルシャンを受けるようで、ダルシャンを待つ人の列は長く、途切れることはありませんでした。私の順番が来たのは、午後11時頃になっていました。

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私は「手紙」と一緒に、「映画のシナリオ」と「企画書」をアンマに差し出しました。すると、アンマはシナリオなどを受け取って祝福して下さいました。そして、長く、しっかりと抱擁して下さいました。

抱擁をして下さっている時、同時に他の方から相談を受けられて、答えられるような場合、その時間が長くなると、抱擁の時間も長くなることがあります。今回のダルシャンは有り難いことに、そのような状況になりました。

そして、抱擁して下さっている間、私の右肩から肘にかけて、ゆっくりと数回撫でて下さいました。それはまさに、「愛しい我が子を撫でる母親の愛の仕草」であり、「お疲れさま」と、いたわってくださっているようにも感じられました。

抱擁が終わる時、アンマはこれまでに聞いたことのない「呪文」のような言葉を語りかけてこられました。「何と言われているのだろう?」と意識を集中しましたが、聞いたこともない言葉ですから、分かるはずもありません。そして時間が来て、私は立ち上がりました。

係の人は 「アンマは祝福して下さいましたが、手紙については何も言われませんでした」と私に伝えて下さいました。アンマから「言葉での返事」を受けることはできませんでしたが、私はダルシャン全体を通して、「アンマからの返事」を頂いたように感じられました。

アンマは微妙な仕草や表情や態度などを通して、メッセージを伝えてこられます。そこには「深い意味」があります。ですから、私たちはいつも注意深くしている必要があります。

アンマ(神様)の「御心」を読み解いていくのは、はじめは戸惑う面もありますが、「神様の視線」が分かってくると、その深い意味を感じ取っていくことができるようになります。

人間の欲望が強い時は、早く結果が欲しいので、欲望にまかせて「直球」のボールを欲しがります。しかし、神様は自由自在ですから、人間の欲望に振り回されることなく、「変化球」も投げてこられます。

そのような時、人間は「なぜ直球でないのか」というような自分勝手な思いを抱いたり、感情的になったり、反抗的になったりします。しかし、私たちはそんな時こそ、謙虚に、静かに、自分というものを見つめ直し、振り返ってみる必要があるといえます。

「アンマはなぜそのように言われるのか?」
「アンマはなぜそうされるのか?」

そのように問いかけて、神様の「御心」や「視線」を理解できるようになってくると、神様に一歩近づくことができて、物事が動きやすくなってくるかもしれません。

淡々と静かに優しく、最善の道を教え導いて下さるアンマなのです。

「誠に有り難うございます。アヴェ アンマ!」


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43.「2020年2月14日(金)」① 
        「ホーマとプージャ」を捧げる。

私は、2月13日のダルシャンの翌日である2月14日に「ホーマとプージャ」をして頂くように申し込んでいました。それで、今日の「ホーマ&プージャ」の儀式には、いつもの「片付人」としてだけでなく、「ホーマとプージャ」の「依頼人」としての立場をもって、儀式に参列しました。

2月13日にダルシャンを受けて、「神様のプロジェクト」の書類をアンマに捧げて祝福して頂こうと考えた時、さらに、その翌日14日の早朝に行なわれる「ホーマ&プージャ」で、アンマや神々様に「事業推進」や「障害除去」などを祈願しようと思ったのです。

アンマのアシュラムでは、「アンマのダルシャン」(神様からの祝福)と「ホーマ&プージャ」(神々様への祈願)を「セット」でして頂くことができて、本当に有り難いと思います。これほど「生ける神」を感じながら過ごすことができる場所は、世界中でもなかなかないように思われます。

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この日も、プージャリのスワミジは素晴らしい「ホーマとプージャ」の儀式を執り行なって下さいました。

式の終盤に、参加者に「聖水」を振りまかれる場面がありますが、プージャリは私が申し込んでいることをちゃんと知っておられたようで、私たちがいる方向に聖水をまかれた後、さらに私一人に向けて、大量の「聖水」をまいてくださり、私の体は頭から足(ズボン)まで、びっしょりと濡れたのでした。

私が少し驚いた表情で、合唱をして礼をすると、プージャリはニヤッと笑われました。その後、私たち依頼者は「プラサード」と呼ばれる神様からの贈り物を頂いて、無事に「ホーマとプージャ」の儀式は終了しました。

写真:アムリタプリ:プージャのプラサード By Y.Kikutani(2020.02.14)555.jpg
  「ホーマ&プージャ」のプラサード
女神様に向かって振りまかれた花をたくさん頂いてきました。これは「片付人」としての余得です。

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私は「依頼人」から聖堂の「片付人」に変身して、きちんと片付けと清掃の仕事を済ました後、「瞑想室」でアンマにご挨拶をして、部屋に戻りました。

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この写真は、ラマナ・マハルシのアシュラムに行った時に撮影した、ラマナ師のお母さんの命日に執り行われる「大ホーマ」の様子です。(菊谷泰明撮影)

アンマのアシュラムのホーマとは規模も内容も異なりますが、「聖なる炉」(護摩壇)を取り囲んで行なう儀式の様子を感じて頂ければと思います。

このインドで行なわれていた「ホーマ」が、中国に伝わって「密教」となり、それを空海師が西安で学ばれて「護摩」(ごま)として、日本にもたらされたのです。

したがって、現在、日本のお寺や修験道などで行なわれている「護摩供養」の原点は「ヒンドゥー教」(バラモン教)にあるというのが事実です。「ええっ! 日本の密教って、もとはヒンドゥー教なの?」という感じです。


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44.「2020年2月14日(金)」② 
        「ホーマとプージャ」の結果が現れる。

アンマのダルシャン」を頂いた翌朝に「ホーマとプージャ」をして頂くという「最強セット」の結果は、すぐに現れました。

部屋に戻り、汗を流すために、首にかけていた数珠などをはずそうとした時、ブチッという音がして、「ルドラクシャ」に通していたひもが切れ、ルドラクシャの玉が1個、床の上に落ちて、コーンという乾いた音が響いたのでした。

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「ルドラクシャ」というのは「菩提樹の実」で、「シヴァ神」を表している「聖なる実」であり、ヒンドゥ教の方たちは皆、首にかけたり、ブレスレットとして身につけておられますし、「マーラー」(数珠)としても使われています。

もちろんアンマも首にかけておられますし、ブレスレットなどのかたちでも身につけておられます。

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私は直径が1cmほどの1個のルドラクシャに、ひもが通されたものをネックレスの形で身につけていましたが、「ホーマとプージャ」を終えて部屋に戻ったら、そのひもが突然切れた、というわけです。

このルドラクシャのネックレスは、2018年5月に、アンマが来日されて、ダルシャンのプログラムが行なわれた時、その会場で購入したものでした。しかも、このルドラクシャは 「以前アンマが身につけられておられたもの」ということで貴重であり、ダルシャンを頂く時に持参したら、「アンマが手に取って、私の首にかけて下さった」という、いろいろな意味で大切なものなのでした。

そのひもがブチッという音を立てて切れて、大切なルドラクシャの玉が床に落ちてしまったのです。

私はルドラクシャの玉を拾うと、「ああ、これは次の段階に行くという『しるし』のようだ」と思いました。今まで普通にあったものが切れて落ちていったのです。それはまさに「これまでの古い段階から、新しいステージに進んでいく」ということを、アンマが知らせてくださったように感じられたのでした。

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そのことを「はっきりと示す」有り難い出来事は、翌日の15日以降に起きてくるのでした。

「アンマは超はんぱない~!」と言いたくなるような驚きの出来事です。「アンマは本当にすごい!」と思わざるを得ません。ですから、アンマを知らないということは、本当にもったいないことであると思われるのです!

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さて、私は「アンマのルドラクシャ」が落ちた時、次のステージに進んでいくということを感じました。それによって、私の心は安心し、今回の旅で残されている期間のスケジュールについて考え始めました。そして、「プッタパルティ」に戻る準備を始めました。

この日の午後、アシュラムと町をつないでいる橋の近くにある旅行会社に行きました。

写真:アムリタプリ:橋 By Y.Kikutani(2020.02.06)555.jpg
  アンマのアシュラムと町をつなぐ橋

写真:アムリタプリ:バックウォーターの渡し船1By Y.Kikutani(2020.02.06)555.jpg
 橋の上から見える景色(バックウォーター)

写真:アムリタプリ:バックウォーターの渡し船2 By Y.Kikutani(2020.02.06)555.jpg
  バックウォーターを渡っていく渡し船

写真:アムリタプリ:バックウォーターの漁船 By Y.Kikutani(2024.02.14)555.jpg
       漁船のデザイン

ベンガルール方面に向かう交通機関について尋ねると、寝台急行列車があり、2月19日18時30分発の便に空席があって、目的地には、翌日の朝9時半に着くということが分かりました。(18日はすべて満席ということでした。)
私はこの寝台列車の切符を買って、帰国に向けてのスケジュールがほぼ決まったのでした。

あとは、何らかのかたちでアンマから届けられる「恩寵」(メッセージ)を静かに待つだけとなったように感じられました。さて、一体どんなことが訪れてくるのでしょうか?・・・

 

「アンマ、いつも有り難うございます!」

 

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45.「2020年2月15日(土)」
        「アンマ直筆の『女神様』の絵」を頂く。

2月15日は土曜日なので、アンマの「公式ダルシャン」の日であり、それは午前11時に始まります。会場は大ホールで、広いので、後ろの方は物販ゾーンとなっていて、様々なものが売られていました。

私は、前日にルドラクシャのひもが切れたので、「代わるものが何かないか」と思い、のんびりと歩きながら「お店」を覗いてまわりました。すると、「アンマが祝福されたルドラクシャ」が売られているコーナーがありました。そこに、昨日落ちたルドラクシャをつないで使えるような良いデザインのネックレスがありました。私はそれを購入することに決めました。

やはり、昨日起きた事件は「さらに良い形」となって返ってきたのでした。

さらに、歩を進めると、毛糸で編まれた「白いマフラー」が置いてあるのが目に入りました。

今、南インドでは軽く30℃を超えていますが、地球の北半球としては、寒い冬のシーズンになります。私は昨年末、寒くなってから、「白いマフラー」が欲しくなり、地元の吉祥寺の街を歩いている時は「白いマフラー」がないかと探していました。しかし、ありませんでした。それが何と、冬でも30℃を超えている、超暑い南インドで見つかったのです。

アンマのダルシャン会場で見つけた「白いマフラー」を手に取ると、販売セヴァの女性が説明を始めました。

「このマフラーはすごく貴重なんですよ。これが編まれたのはアンマの部屋の中で、編んだ女性は、このマフラーをアンマに捧げるという気持ちで編んだんです。アンマに捧げられた手編みのマフラーなんです」

「そうですか。すごいですね」と言いながら、私は肩にかけました。すると、係の女性は手鏡を私に手渡して、「よく似合っていますよ。どうぞ見て下さい」と言いました。
私は欲しくて探していたものがアンマのアシュラムにあったのですから、もう何も確認する必要などありません。さらに「アンマの部屋でつくられた手編みのマフラー」なんて、どこで買えるでしょう。

私の心は決まっていたので、手鏡で見る必要はありませんでしたが、せっかくなので受け取り、私の顔だけを鏡に映して、大きな声で言いました。
「わお~! ビューティフル~!」
「おお~! ビューティフル~!」
私はうっとりとした顔と声で、自分の顔だけを映しながら、繰り返しました。すると、販売の女性は腹を抱え、手を叩きながら大きな声で笑い続けました。それで、場の雰囲気が楽しく明るく和やかになりました。

すると、別の女性が私の前に「絵が描かれている白いハンカチ」を持ってきました。ハンカチを広げると、単純なラインで、美しい女性の顔と花が描かれていました。販売の女性は言いました。
「これはアンマが描かれた絵です」
「え? アンマが描かれた? この絵をアンマが描かれたんですか?」
私はアンマが描かれた絵が売られているなどと想像もしていなかったので、何回も「本当にこれをアンマが描かれたんですか?」と確認しました。返ってきた答えは「そうですよ。これはアンマが描かれたんです」というものでした。

「今、残っているのは3枚だけです」と言って、他の絵も持ってきてくれました。最初のハンカチは「女神様の顔」でしたが、もう1枚は「ガネーシャ神」、そしてもう1枚は「花」でした。私はマリア様とアンマ様の「女神系」の仕事をしているので、「この女神様の絵がぴったりだ」と思い、早速購入することにしました。

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2月14日に「ホーマとプージャ」を捧げた後、ルドラクシャのひもが切れたことによって、それに代わるものを探そうと思っていると、以前のルドラクシャも生かすことができる「アンマが祝福されたルドラクシャのネックレス」 が見つかりました。

次には、日本でずっと探していた白いマフラーが「アンマの部屋で編まれた白いマフラー」というかたちで手に入りました。

そしてさらには「アンマが描かれた女神様の絵」が手に入ることになったのでした。私は、何も交換することなく「わらしべ長者」のように豊かになったのでした。この流れを見ると、すべてがアンマの恩寵とお導きであるように感じられました。

インドの聖地巡礼の最後を飾る「クライマックス」に、私を待っていてくれたのは、なんと「アンマが描かれた『女神様』の絵」だったのです。ああ、アンマ様、あなたの大いなる恩寵に心から感謝致します。

「有り難うございます。女神アンマ様!!!」


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46.「2020年2月16日(日)」
       「アンマが描かれた絵」をアンマに祝福して頂く。

2月16日の日曜日も「公式ダルシャン」の日であり、午前11時から「カーリーテンプル」で行なわれました。

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朝、起きた時、私の心に、昨日大ホールの売り場で見た「アンマが描かれたガネーシャ神の絵」のことが思い浮かびました。

「シヴァ神」の子である「ガネーシャ神」は「事業繁栄」や「障害除去」などの力を持っておられる神様として、インド中でお祀りされています。このガネーシャ神は日本では「聖天様」(しょうてんさま)と呼ばれて信仰されていますが、もともとはインドの神様です。

私はこれから「神様のプロジェクト」を進めて行く上で、「アンマが描かれたガネーシャ神」が守り導いて下さるように思われ、購入する方が良いように感じられたのでした。

また、ハンカチの裏には、絵が描かれた日付として「2020年2月11日」と書かれていました。つまり、あのガネーシャ神の絵は、私がカラリで一人で仕事をしていて、「アンマとの瞑想」の時間に間に合わなかった時に、アンマが描かれていた絵だったのです。

さらに、2月11日は「ルルドでマリア様が出現された記念日」であり、日本においては「建国記念日」で、神武天皇が即位された大切な日ですから、「マリア様」とも「日本国」ともつながりがある大切な日であるといえます。

それで、私は、2月11日に「アンマが描かれたガネーシャ神」を日本にお連れできれば幸いであると思ったのでした。

 ♡ ♡ ♡

午前10時頃、大ホールに行くと、昨日の売り場は準備が進められており、大笑いされた販売担当の女性の姿もありました。そして幸いなことに「ガネーシャ神の絵」は売れることなく残されていました。

私は「ガネーシャ神の絵も欲しいです」と伝えました。そして、インドルピーの所持金が少なくなっていて、絵を買うのに足りていなかったので、「明日、銀行に行って両替するので、明日までとっておいて下さい」とお願いしました。(この日は日曜日で、銀行は開いていないのです。)しかし、係の方が言われるには、「とっておくことはできず、買う時に現金で支払わなければならない」とのこと。さらに 「スウエーデン人の女性が欲しいという話をしていたので、早く買わないと、なくなってしまうかもしれません」ということでした。

販売員の皆さんは、昨日からの流れで、私に買って欲しいと思ってくれていて、皆が声を揃えて「早くATMに行って、お金を引き出して来てください」と言うのでした。私はインドのATMの使い方(画面の表示)がよく分からなかったので、ちゅうちょしていましたが、皆さんの「早く、急いで」という声に後押しされて、アシュラム内にあるATMに向かいました。

ATMに行くと、ちょうどお金を引き出したばかりのインド人の女性がいたので、「使い方を教えて下さい」とお願いすると、快諾してくれて、どのボタンを押せばいいのか、最後まで教えて下さいました。お陰様で、スムーズにインドルピーを引き出すことができて、私は急いで売り場に戻りました。そして、私が引き出したお金を見せると、販売の方たちは皆喜んで、ガネーシャ神のハンカチを包んで下さったのでした。

係の女性は「あなたがこのガネーシャ神を日本に持って行くのは、今の日本にとって重要な意味があると思います」と言われました。「アンマが描かれたガネーシャ神」も「アンマが描かれた女神様」と一緒に、日本に来て下さるようになっていたようです。

インドで描かれる神様の絵では、よく「ガネーシャ神」は「ラクシュミ女神様」や 「サラスワティ女神様」と一緒に描かれています。やはり、「女神様」と「ガネーシャ神」が一体となって、大いなる祝福を与えて下さるように思われます。

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私はこの日は、午後7時頃にダルシャンの列に並びました。

私の手には「アンマが描かれた女神様」と「アンマが描かれたガネーシャ神」と「アンマが祝福されたルドラクシャのネックレス」がありました。今日のダルシャンでは、このアンマにまつわる3つの品を祝福して頂くことにしました。それによって、アンマとのご縁がさらに深められるように願いながら。

 ♡ ♡ ♡

私は列に並んでいる間ずっと、日本で唱えている「アンマに捧げる祈り」を「108個のルドラクシャのマーラー(数珠)」を繰りながら、祈り続けました。

会場では「バジャン」(神を賛美する歌)が心を込めて賑やかに歌われており、目の前では、アンマがダルシャンを与えて下さっています。

そのような場所で「アンマに捧げる祈り」を唱えながら、アンマのダルシャンを待つことができるというのは大変幸いなことであり、祈りも力が増すように感じられたのでした。

 ♡ ♡ ♡

列に並んでから、40~50分が過ぎた頃、私はアンマの前に進み出ました。そして、アンマに3つの品を差し出すと、アンマはまず「ルドラクシャのネックレス」を私の首にかけてくださいました。2月14日に落ちたルドラクシャの玉も、再びアンマの手によって、私の胸もとに戻ってきたのでした。

次に、アンマはご自分が絵を描かれた2枚のハンカチをゆっくりと手に取られました。アンマの周りにいる数人の帰依者の方たちが小声で「アンマの絵ですね」と話しています。すると、予想していなかった出来事が起きました。

アンマは手に持っておられる「女神様」と「ガネーシャ神」をしばらくの間、「うっとりとした表情」で眺めておられました。アンマはハンカチに描かれたご自分の絵を見ながら、静かに楽しんでおられたのです。

アンマのこのようなうっとりとした表情を間近で見て、私は驚きを感じました。私は、アンマは自分が描いた絵だと分かられて、「あら、私の絵はあなたのところに行くことになったのね」という感じで祝福して下さるだろうと思っていたのです。ところが、アンマは、自分が描かれたものかどうか関係なく、「女神様」と「ガネーシャ神」の美しい姿(神様の力の現れ)そのものに感応して、純粋に楽しんでおられたのでした。

まさに、その姿は「私」や「自分」という感覚を超えて、純粋に「神様の美しさに浸っておられる」という感じでした。私はアンマの様子を見ながら、「神の意識」や「神の視線」というものを直に感じることができたのでした。

神様は純粋に「美しいもの」がお好きなのですね。
それは単なる表面的な美しさではなく、「神様の愛」が表われている「本質的な美しさ」です。
アンマは、「神様の愛の心」で「女神様」と「ガネーシャ神」の絵を描かれました。
そして、その「女神様」と「ガネーシャ神」の絵を「神様の愛の心」で眺められて、楽しまれたのです。

「ああ、アンマ、アンマ、アンマ! 何という美しいダルシャンの時を与えて下さったのでしょう! 誠に有り難うございます!」

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この「女神様」と「ガネーシャ神」をめぐる穏やかな時が過ぎた後、アンマは私をしっかりと長く抱きしめて下さいました。そして、耳元で、また「呪文」のような言葉をささやかれました。こうして、今夜の魅惑的で豊かなダルシャンは終わりを告げたのでした。

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私にとって、2月13日のダルシャンから、今日、16日のダルシャンまでの出来事は、非常に大きな意味のあるものとなりました。そして、私のもとに来て下さることになった「女神様」と「ガネーシャ神」に「純粋な神様の愛」が込められていることも分かって、大変幸いでした。

今回のタイミングで、私を南インドへの聖地巡礼に招いて下さいましたアンマ様、神々様、聖者様、そしてお世話になりました皆様方、誠に有り難うございました。心より感謝申し上げます。

「オーム アムリテーシュワリイェイ ナマハ!」


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47.「2020年2月17日(月)」
       「アンマの『パーダプージャ』の聖水」

2月16日(日)に「カーリーテンプル」で行なわれた「公式ダルシャン」は深夜に終わり、その後、アンマの御足を洗い、礼拝する『パーダ・プージャ』が行なわれたそうです。私は昨夜のダルシャンで、「アンマが描かれた絵」を祝福して頂いた後も会場に残り、感謝の心をもってダルシャンの様子を見ていたのですが、すべてのダルシャンが終わるのを待たずに、部屋に戻ったのでした。

自分の体力などを考える時、アンマの日常はまさに「超人的」であり、「人間業ではない」(神の御業である)ことがよくわかります。「アンマの世界」は、「理屈」だけではなく「体験」しなければ、「本当」のことは「理解」できないように思われます。

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昨夜、行なわれた『パーダ・プージャ』で使われた「聖水」を「カラリ」(聖堂)で頂くことができるということを教えて頂きました。私は午前9時からカラリで行なわれる「ホーマ&プージャ」に参列した後、「聖水」を頂いて、頭などに振りかけました。

「聖母アンマ、様々な『恩寵』を与えて頂きまして、誠に有り難うございます」

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アンマのアシュラムは「真(神)の霊性の国」であるといえるように思われます。
ですから、次から次に有り難い「恩寵の雨」が降り注がれてきます。
そのなかで、最終的に、何がもたらされるのでしょう?
私たちはどこにたどり着くのでしょうか?
アンマが指を指しておられる方向に進んでいくと「神様と一つになる」ことが待っているということです。
私たち人間の旅は、そこに至るまで、延々と続けられていくようです。
アンマのお導きを通して、私たちは楽しく安全に「神様に至る道」を進んでいくことができます。
アンマの無限の愛に満ちたお導きに、心から感謝致します。

「オーム アムリテーシュワリイェイ ナマハ!」

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ここで「アンマの祈り」 をご紹介します。

《 真心をこめて祈りなさい 》

 神様、
 私が一日中いつもあなたを想い起こしていますように。
 私の思い、言葉、行いの一つひとつによって、
    あなたに近づいていくことができますように。
 私の思い、言葉、行いによって、
  誰も傷つけることがありませんように。
 一瞬一瞬、私と共にいてくださいますように。
                                    -アンマ-


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48.「2020年2月18日(火)」
       「アンマのアシュラム」の「ホーマとプージャ」について

私が2月14日(金)に、アンマのアシュラムにある「カラリ」で、「ホーマとプージャ」をして頂いたことは既に書きました。そして、その後に起きた出来事についても書きました。

私はアンマのアシュラムの「カラリ」でお務めしていて、その素晴らしさを実際に見て、体験しています。

私はこれまで、インドに10回以上訪れており、北はリシケシやラダック、ダラムサラ、ダージリン、南はカニャクマリ、チダンバラム、東はプーリ、カンチープラム、西はドワルカ、ウジャイン、中央はヴァーラーナシーやヴリンダーヴァン、シュリンゲーリなど、様々な聖地を訪れました。そして、いろいろな「儀式」を拝見させて頂きました。

そのような様々な体験を通して言えることは、アンマのアシュラムで行なわれている「ホーマとプージャ」は非常に素晴らしい、ということです。それは、この「ホーマとプージャ」の背後に、神様とつながっておられる「アンマ」の存在があるからであろうと考えています。

ちなみに、このカラリの隣にある建物にアンマが住んでおられるので、カラリとアンマはつながっている、といえるように思われます。

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自分の人生をより良い方向に向かって進めていくための一つの方法として、アンマのアシュラムで行われている「ホーマとプージャ」は大きな価値があるといえるでしょう。ご関心をもたれた方のために、アンマのアシュラムの「ホーマとプージャ」のページをご紹介しておきたいと思います。

ただし、「ホーマとプージャ」は「祈願して頂いて終わり」というものではなく、「運命を変える」ためには、「自分自身も変わっていく」という努力をしていく必要があり、「自分自身が変わっていく」ために「ホーマとプージャ」はある、ということも申し添えさせて頂きたいと思います。どうぞ、皆様に良いお導きがありますように。

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(ご注意)

今回、私は「アンマのアシュラム」への旅などの記事を書きましたが、私は「アンマの組織」に属しているわけではなく、完全に中立的な立場で、アンマの「御教え」を学ばせて頂いており、アシュラムでも「一般人」として、規則に従って、生活させて頂いています。

アンマのアシュラムにおける「ホーマとプージャ」などについても、基本的な「情報」としてお伝えするものであり、その効果を宣伝したり、特別に推奨するものでもありません。ただ、自分に起きた出来事を客観的にご紹介しただけです。(しかしながら、個人的な体験を通して素晴らしいなあと感じています。)

私は、日本において少しでも幸せな人が増えて頂ければ、日本全体が幸せになっていく可能性があるので、「そうなると良いなあ」と思っています。そしてさらに「日本の幸せが世界に広がっていけばさらに良いなあ」と思っています。

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日本MAセンター(アンマの日本アシュラム)

「プージャ」や「ホーマ」などについての詳しい内容は「日本MAセンター」にお問い合わせください。

 1.「プージャについて」
  https://macenter.jp/pujahoma

2.プージャ/ホーマ申込みのご案内
  https://macenter.jp/puja

3.プージャ/ホーマ申込書ダウンロード
  https://macenter.jp/pujaapplication

4.プージャ/ホーマの内容の一覧表
  https://macenter.jp/pujalist


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49.「2020年2月19日(水)」
       「アンマのダルシャン(最終)」

今日、今回の「インド聖地巡礼」での、最後の「アンマのダルシャン」を頂いて、プッタパルティに戻り、それから日本に向けて発つことになります。6週間にわたる旅でしたが、大変充実した巡礼の旅であり、あっという間に時間が過ぎていきました。そのすべてのプロセスにおいて頂いた恩寵に対して、心からの感謝しかありません。

今回の聖なる巡礼の旅においてお導き下さいましたアンマ様、サティア・サイババ様、マリア様、イエス様、神々様、聖者様、お世話になりました皆様方、誠に有り難うございました。心より御礼申し上げます。

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熊野のお寺で修行している菊谷和尚さんです。
聖母マリアも聖母アンマも、
キリスト教に限らず、仏教や神道やヒンドゥ教など、
様々なかたちで「真理への道」を学ぶように導いてくださっています。


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50.「2020年2月21日(金)」
     「空港のセキュリーチェックでマントラを唱える」

インドでは2月21日(金)の夕方から22日(土)の朝にかけて「マハシヴァラトリ」という「シヴァ神」を讃えて、徹夜で「バジャン」(神様を賛美する歌や音楽)などを捧げる「盛大なお祭り」があります。

私はこのシヴァ神を讃える「バジャン」に見送られるようにして、プッタパルティを発って、空港に向かいました。

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空港でチェックインが終わり、出国審査を通過して、「セキュリティチェック」を受けると、私の「機内持ち込み」の二つのバッグが「要検査」になりました。インドのセキュリティチェックは「しつこい」と言えるくらいにうるさいのです。

女性の係官が険しい表情で私にモニターを見せて、「怪しい」と指摘されたバッグの内容を確認させられました。
スキャンされたバッグの中身で「要検査」とされたものに、コンピューター上で「丸印」が付けられており、バッグの中のほとんどのものにチェックが付けられていました。そういうことで、女性の係官は厳しい表情をしていました。

女性の係官に加えて、男性の係官も加わって二人で立ち会い、「バッグを開けて、荷物を全部見せなさい」ということです。私は中身を取り出しながら、説明していきました。

バッグの中は、ほぼすべてが「プッタパルティ」と「アンマのアシュラム」などで購入した「神聖な祭具」でした。私は「これはチベット・ヒーリングで使うクリスタルで」、「これはプージャやホーマの時に使う水差しで・・・」などと説明していきましたが、何番目かに「オイルランプ」が出てきました。

私は「これはオイルランプで、こうして使うんです」と言いながら、オイルランプを体の前に捧げて、儀式の時のように回しました。すると、いつものように「サンスクリット語のマントラ」(祈り)が口から出てきました。私はセキュリティーテェックの係員の皆さんの前で、大きな声でマントラを唱え始めたのでした。

女性と男性の係官は思わぬ展開に言葉を発することなく、私のマントラを黙って聞いていました。遠くの係官もこちらの様子を見て、笑顔を見せ始めました。

一つのマントラが終わった時、男性の係官が「なぜあなたはインドのマントラを唱えられるんですか」と丁寧に聞いてきました。態度も緊張感が取れて、興味津々のような普通の会話モードになっています。

「私は1990年に初めてインドに来てから10回以上訪れており、インドのことをいろいろと学んでいるのです。先日は、アンマという聖者のアシュラムにある寺院で働いていたんです」などと説明すると、二人の係官の表情は緩んで、その後のチェックをすることもなく、笑顔で「OK」になったのでした。

「マハシヴァラトリ」の夜に、インドの国際空港の「セキュリティチェック」で「サンスクリット語のマントラ」を唱えるという、思ってもいなかった展開になったのですが、この「聖なる夜」にふさわしい「聖なる出来事」であるように感じられました。

インドを旅する時には、「サンスクリットのマントラ」を一つでも覚えておくと良いかもしれません!

「アヴェ アンマ! アヴェ シヴァ! アヴェ ガネーシャ!」

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「アンマの祈り」

 何が起きても
  私は幸せでいます。
  私は強くあります。
 神様はいつも私と共にいてくださいます。
             - アンマ -


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 51.「2020年2月22日(土)」
      「222の日に無事帰国」

2020年2月22日0時20分インド発の飛行機で、2月22日に帰国しました。

「222」という数字が現れてきて、まさにこれから「2」で表されるステージが開かれるということが示されているように感じられます。

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「2」という数字は「物事は相反する2つの要素からなる」という「二元論」の元になる数字です。それは「天と地」、「男と女」、「善と悪」、「昼と夜」などのような相対する「二つの姿」を現しています。それで「二つ」は「分離」を意味することにもなります。

しかしながら、「二つ」は「一つ」に「融合」して、「一体」となって働きます。したがって、「分離」と「融合」はいつも同時に存在しているといえます。

これから訪れてくる大いなる「変化の時」においては、「分離」と「融合」の動きが「加速」、「拡大」していくように思われます。

その「新たな動き」のなかで「混乱」や「困難」が生じることになるでしょう。それは「変化の時」へと進んで行くプロセスにおける「陣痛」や「産みの苦しみ」であるといえます。

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「コロナウイルス」などの思わぬ形を通して、「分離」の動きは「加速」、「拡大」されました。これからさらに他の様々な「要因」も加わって、「分離」、「混乱」、「困難」はますます大きくなっていくように思われます。そして、政治や経済も混乱し、闘争や戦争なども拡大していくことになるのでしょう。

そのような時代において、私たちはどうしたら良いのでしょうか?

混乱し、動揺している「マインド」を鎮め、静かに自分の「ハート」に心を向けて、聞いていく必要があるのではないでしょうか。そして、その方法が「祈り」であり「瞑想」であるといえます。

そのことを「見えない世界」の「聖母マリア」と「見える世界」の「聖母アンマ」というお二人の「聖母」が、繰り返し繰り返し教えてくださっています。

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これから訪れてくる「混乱」と「困難」のなかにおいて、多くの人たちが「涙」を流されることになるかもしれません。しかし、私たちの目の前には「救いの手」が差しのばされているということを知っている必要があります。そして、その手に導かれながら、平和のうちに歩いていく道が与えられています。

「今、私たちは心をどこに向けるのか?」ということに「大きな意味」があるように思われます。

まず、そのことに対して静かに心を向けていきたいと思います。

有り難うございます。

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   帰国する飛行機から見えた「夕焼け空」と
   夕陽の光を反射して美しく輝く「翼」。


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52.「2020年5月1日(金)」
   「アンマの写真に水滴(アムリタ?)」が現れる

2月22日(土)に帰国してから約2カ月が過ぎた5月1日(金)のこと。

なにげなくアンマの祭壇に飾ってあるアンマの写真(A4版)を見ると、その数カ所がキラリと光っています。私は何だろうと思い、近づいて、確認してみました。すると、それは水滴でした。水の粒が写真に付いているのです。この祭壇の写真は少なくとも1年以上前から同じ場所に置いていましたが、これまでそのようなことはありませんでした。

念のため、室内にある他のすべての写真を確認しました。すると、水滴が現れた写真の後ろに置いているアンマの「デーヴィ・バーヴァ」の写真(A4版)にも同じような水滴が付いていました。つまり、アンマの2枚の写真にだけ水滴が付いていたのでした。

マイソールの孤児院ではサイババ様の写真にビブーティが湧きだし、ペンダントからはアムリタが流れ出ていたのですが、我が家では、アンマ様の写真に水滴(アムリタ?)が湧き出してきたということなのでしょうか?

数日経って、また見てみると、水滴は大きくなっており、数粒の水滴はその重みで下に垂れてきていました。

私は室内の水分の影響を受けることがないようにと思って、特別のガラスケースを作り、写真をその中に入れました。しかし、その後も、数個の水滴が現れてきて、大きくなった水滴は下に流れていきました。
ですから、確かに室内の水分による影響ではなく、写真から水滴が現れてきているといえるように思われます。

これは「アンマのアムリタ」なのでしょうか?

今年の1月から2月にかけて頂くことができたアンマからの大いなる恩寵の続きとして頂いたアムリタなのでしょうか?・・・

有り得ないような有り難い恩寵に感謝しながら、祈らせて頂いています。

誠に有り難うございます。

「オーム アムリテーシュワリイェイ ナマハ!」


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 53.「2023年9月27日(水)」
    「アンマの写真の水滴(アムリタ?)」

2023年9月27日(水)、アンマの70才の誕生日に、アンマの祭壇でお祈りした時、アンマの写真を見てみました。

すると、やはり水滴は付いていました。以前、右の眉辺りから流れ出していた水滴はあごの方まで流れて、乾いており、水滴の流れた跡が残っていました。そして、今度は、左目の辺りから湧いた水滴が大きくなって、目の下まで流れていました。それは、アンマの涙のようにも見えます。

2020年5月1日(金)に見てから、2023年9月27日(水)の3年以上にわたって湧いてきている水滴(アンマのアムリタ?)です。

写真:アンマのアムリタ:神様の秘密 By Y.Kikutani(2022.09.27)369.jpg
 「アンマのアムリタ(?) 2023.9.27

  有り難うございます。
「オーム アムリテーシュワリイェイ ナマハ!」


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54.「マトルヴァーニ:2022年12月号
   「アンマの涙」

アンマのアシュラム(マーター・アムリターナンダマイー・マート)から、年4回発行されている「マートルヴァーニ(母の声)」という季刊誌があります。
季刊誌「マートルヴァーニ」(母の声)| 日本MAセンター

この冊子には、アンマからのメッセージや、お弟子さんや帰依者の方たちの体験談や学び、聖典についての解説など、霊的な生活においてとても重要でためになる様々な事柄が記されています。

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2022年12月号に、スワミ・シャンタアムリターナンダ・プリが「アンマの恩寵の光」というテーマで、ご自分のアンマに関わる体験について書かれています。

その中で、アンマの兄弟であるサティーシュさんが話された感動的な出来事について紹介されています。それは次のような内容でした。

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アンマが16才頃のこと。サティーシュさんはアンマがバックウォーターのそばに座って、泣いているのを見ました。彼は、アンマが誰かに叱られたか、叩かれたのかと思い、「どうして泣いているの?」とアンマに聞きました。するとアンマは答えました。

私には世界の悲しみが感じられるし、人々の苦しみの叫び声も聞こえる。
 そして、私は彼らの不幸を取り除く方法を知っている。
 でも、彼らは誰もその解決策を知ろうとはしない。
 私の涙はそんな人類に対する涙なの


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アンマの涙は自分自身の悲しみから流れたものではなく、不幸や苦しみの中でもがくだけで、それを本気で解決しようとしない、人類の姿に対する悲しみからもたらされたものだったのです。

なんという「愛の涙」でしょう! 16才のアンマはすでに「知っておられた」のです。

それでは一体どのようにして、世界の悲しみは解決され、苦しみの叫び声をなくすことができるのでしょうか?

それは、私たち人類が無知や無明などの眠りから目を覚まし、「真我」(アートマン)の真実を知ることによってもたらされるといわれています。

それで、アンマは今、私たち人類を救済するため、人々が「真我」(True Self)に目覚めるように導いてくださっているのです。

アンマは、私たちが「解脱」(モクシャ)に達して、悲しみや苦しみを完全に克服し、真の平安と幸福に至るように願っておられ、それが達成されることがアンマの喜びであるということです。

私たちは「アンマの涙」に秘められている深い意味を知って、「真我顕現」という地上生活における「大いなる目標」に向かって、一歩一歩進んでいかなければならないといえます。

アンマは「地上に肉体を持って存在している人類」が到達することのできる究極的な意識や行動などのあり方などを教え、明示してくださっています。そのようなお方が現在、私たちの前にいてくださり、導いてくださっているということがまさに「神様からの大いなる恩寵」であると言えるように思われます。

「有り難うございます。神様! そして、アンマ(お母様)!」

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「オーム アムリテーシュワリイェイ ナマハ!」


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55.「
2020年3月
   「沖縄・久高島への誘い」

2020年2月22日(土)に、日本の成田空港に着いて、1月11日から2月22日の約40日間にわたる「南インドの三社参り」を無事に終えることができました。

「これほどのお導きや恩寵を頂いた聖なる旅をさせて頂いた後、これからどのような流れになるのだろうか?」と考えていると、やはり想像を超えるような「お導きと恩寵の旅」の続きが始まり出しました。

最初に行くように導かれたのは
「沖縄の久高島」でした。「神の島」とも呼ばれており、かつての琉球で最も大切な祈りの聖地とされている「斎場御嶽」(せーふぁうたき)から拝む「遙拝所」があるほどです。斎場御嶽について、南城市の案内は次のように説明されています。

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御嶽(うたき)とは、南西諸島に広く分布している「聖地」の総称で、斎場御嶽(せーふぁうたき)は琉球開闢(りゅうきゅうかいびゃく)伝説にもあらわれる、琉球王国最高の聖地です。

また、琉球国王や聞得大君(きこえおおきみ)の聖地巡拝の行事を今に伝える「東御廻り」(あがりうまーい)の参拝地として、現在も多くの人々から崇拝されています。

御嶽の中には六つのイビ(神域)があります。琉球国王はこの六カ所を参拝しながら、国家繁栄・安寧、五穀豊穣、航海安全などを神に祈願しました。

はるかなる琉球王国時代、国家的な祭事には聖なる白砂を「神の島」といわれる「久高島」から特別に運び入れ、それを御嶽に敷きつめました。その祭事の中でも、最も大きな行事が、聞得大君(きこえおおきみ)の就任式である「御新下り」(おあらうり)でした。

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私は帰国後すぐに、そのような聖地である「神の島」に行くようにお導きを頂いたのでした。そして、インドから帰国して約2週間後の3月8日に、沖縄に向かって飛び立ちました。

いつものように「なぜ?」と不思議に思いながら行ってみると、私は予想もしていなかった所で、予想もしていなかった人から、予想もしていなかったことを聞かされて、予想もしていなかったことをさせられるようになってしまったのでした。「オー・マイ・ゴッドの島!」

私は「日本と世界」の「歴史と未来」などについて深く考えざるを得なくなりました。そして、予想もしないような不思議な旅が続いていくことになりました。

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そのような延々と続いていく「不思議なお導きの物語」は「一体どこにたどり着く」ことになったのでしょうか?

もし、「物語の続き」にご興味がおありでしたら、『神様の秘密 シナリオブック』に目を通して頂けたら良いかもしれません。何かご参考になることが書かれていましたら幸いです。

それは「人類に対する不思議なお導きの物語」でもあります。
そしてまた、それは旧約聖書の「創世記」の最初に記してある出来事の「結末」でもありました。
そのような「壮大な物語」に触れて頂き、何かを感じて頂けましたら誠に幸いであると思います。

「有り難うございます。神様!」


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・書籍『神様の秘密 シナリオブック』
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今日の予定