写真 (ご出現など)
ラマナ・マハルシとアルナーチャラ山
アルナーチャラ山登拝(ラマナ・マハルシ) ⑥
「コブラ・ロック」(コブラ岩)。
上にかぶさっている大きな岩がコブラの頭に似ているので、その名前が付けられました。
マハルシは毎朝、この場所で瞑想をされながら、朝陽を迎えておられたそうです。
アルナーチャラ山登拝(ラマナ・マハルシ) ⑦
アルナーチャラ山の頂上に無事到着して、祈りを捧げました。
頂上まで、2時間ほどかかりました。
気温が高くなる昼間に登ると、疲労が増すので、朝早くに登り始めました。
下りは楽ですが、素晴らしい景色を眺めながら、またシヴァ神のエネルギーを感じながら、のんびりと過ごすのが良いように思われます。
アルナーチャラ山登拝(ラマナ・マハルシ) ⑧
頂上にある「シヴァ神のご神体の岩」に花やココナッツ、お菓子などの捧げ物をして、プージャの儀式を行ないました。
この時のために、日本から、奈良の「大神神社」(狭井神社)の御神水を持参してきていたので(青いラベルのペットボトル)、シヴァ神の岩に御神水をかけて、大和とシヴァ神をつながせて頂きました。
(もちろんペットボトルは持ち帰りました。)
誠に有り難うございます。
「オーム ナマ シヴァーヤ!」
アルナーチャラ山登拝(ラマナ・マハルシ) ⑨
アシュラム内で行なわれる「ホーマ」(護摩)の儀式です。
日本の寺院などで行なわれている「護摩供養」の原型はインドの「ホーマ」にあります。
「ホーマ」が漢字で表現された時、「護摩(ゴマ)」になったのです。
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実は、空海先生が「唐の西安」に留学されて、学ばれて、持ち帰られて、開教された「真言密教」はインドの「バラモン教」(ヒンドゥー教)の伝統を色濃く残しています。
「真言密教」の「真言(しんごん)」とはインドの「マントラ」のことですから、「真言密教」は「秘密のマントラの教え」であるとも言えます。
空海先生は頭脳明晰な天才であり、当時、西安にいたインド人からインドの「サンスクリット語」(梵語)を学ばれて、1年もたたないうちにマスターされたそうです。
それで、日本の高野山にある「五輪塔」(五輪卒塔婆)には、サンスクリット語(梵字)で「地・水・火・風・空」の文字が刻まれているというわけです。
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実は、日本の神様である「大黒天」はインドの破壊と再生の神様である「シヴァ神」なのです。
それは「ヒンドゥー教の『シヴァ神』の別名である『マハー・カーラ』(大いなる時・死・黒)を直訳したものであり、後に、日本神話に登場する大国主神と習合して誕生した神様」であるということです。
また、日本の「帝釈天」(たいしゃくてん)はもともとインドの雷神である「インドラ神」です。
そして、このインドラ神に仕えている「四天王」(持国天・増長天・広目天・多聞天)も、もとはインドの神様です。
・持国天=梵名:ドゥリタラーシュトラ(「国を支える者」という意味)。
・増長天=梵名:ヴィルーダカ(「成長あるいは増大した者」という意味)。
・広目天=梵名:ヴィルーパークシャ(「尋常でない眼を持った者」という意味)。
・多聞天=梵名:ヴァイシュラヴァナ(「ヴィシュラヴァスの子」という意味で、クベーラとも呼ばれ、富と財宝の守護神)
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日本最古の歴史書である「日本書紀」には、次のような内容が記されています。
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用明天皇2年(587年)、かねてより対立していた崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏の間に武力闘争が発生した。
聖徳太子こと厩戸皇子(当時14歳)は蘇我氏の軍の後方にいたが、この戦況を見て、白膠木(ぬるで)という木を伐って、四天王の像を作り、「もしこの戦に勝利したなら、必ずや四天王を安置する寺塔(てら)を建てる」という誓願をした。
その甲斐あって、味方の矢が敵の物部守屋に命中し、彼は「えのき」の木から落ち、戦いは崇仏派の蘇我氏の勝利に終わった。
その6年後、推古天皇元年(593年)、聖徳太子は摂津難波の荒陵(あらはか)で四天王寺の建立に取りかかった。
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先入観をもつことなく、客観的にこの事実だけを見てみると、「聖徳太子はインドの神様である『四天王』に願いをかけられて、その願いがかなったため、インドの神様をお祀りするための『四天王寺』を(現在の天王寺区に)建立された」ということになります。
ですから、多くの日本人は知らないうちに「インドの神様」に祈っている、ということができます。
「聖天様」はインドの「ガネーシャ神」ですし、「弁財天」もまた、インドの「ブラフマ神」の妻である「サラスワティ女神」のことです。
弁財天に捧げる日本語の真言は「オン ソラソバテイエイ ソワカ」です。
それを、サンスクリット語(もともとの言葉)で正しく発音すると、「オーム サラスワティエィ スーヴァッハ」です。
ですから、「オン ソラソバテイエイ ソワカ」という真言は「日本語なまりのインドのマントラ」といえるのかもしれません。
私はインドに何回も行って、実際に「ホーマ」の儀式などを見たり、学んだりすることによって、日本の「護摩(ごま)」などの意味を知ることができました。
「神々や宗教などの世界は広く深くつながっている。そして、水面下に沈んでいる氷山を見るのが難しいように、隠されている真実を知ることはとても大変なことである」とつくづく感じさせられるのです。
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アルナーチャラ山登拝(ラマナ・マハルシ) ⑩
アシュラムの中では「白い孔雀」が何羽も飼われていました。